よく聞くオリンピックがあるからというセリフ。
東京の交通事情を整理したり、建築物を整理したり、
はたまたそれに合わせて地価も株価も変動を見せているとか。
そして、商売もその時期に合わせてリストラを敢行しているという。
都市の発展、景気の高揚はきっかけが必要であり、きっかけがあれば
人の気持ちが揺れ動くので、こういうイベントを利用したいのだろう。
そしてオリンピックは一大イベントだ。
よくぞこれだけのイベントを文化の違う世界中の人々を集め、
そして世界中の注目も浴びてつくりあげたと人類はあっぱれと思う。
この事実を考えただけでわくわくする。
これは、サッカーワールドカップとも性質が違う。
ワールドカップはサッカーというお化けスポーツの人気によるところが
大きい。
オリンピックはスポーツの祭典と同時に異文化交流の場でもあるのだ。
異文化の世界中の人々がこの時ばかりはそれぞれの国を代表して
集結し、一様にその国の誇りを賭ける。
4年に1度しか来ないこの一瞬のために人生を捧げる選手たち。
そして、見る側もそれぞれの国の代表選手を応援する。
奇跡の大イベントと言える。
しかし、あくまでイベントに過ぎない。
たかが3週間程度の開催期間であり、
終わってしまえば、とんと話題にしなくなる一過性のものだ。
それを7年も前から浮かれている。
これは作為だろう。
政府やマスコミによる庶民の情操制御だ。
ええじゃないか、ええじゃないか、よいよいよいよい
それのためにその地域の
生活環境が変わろうとしている。
諸外国にアピールできるようにと大規模な工事が行われ、
神宮の杜にもコンクリートが及ぶと聞く。
奇跡のイベント・オリンピックごときでアピールするより
国の伝統・文化で常時、よそから見られても魅力ある国であることを
積み重ねてアピールしたいんだな。