僅差の終盤、ランナー一,二塁でバントのサインは嫌だ、というバント巧者だった解説者。
いやだったのか。
そうじゃなくて難しかったということだろ。
じゃあ打つ方がいいのか。
打つ方がいいですね。私は打つ方が結果を出せますから、と断言はできないだろう。
ならば、心理状況は、打て、も、バントしろ、も、一緒だと思われる。
打つ方はうまく行って3割だから、打てなくても俺のせいじゃないからということなのか。
じゃあ代打がいいのか。
たしかに代えてくれ、という感覚も起きうるだろう。
だけどプロでありながら試合に出ないことを望むのだろうか。
出たい時だけ、出たくなった場面だけ出場させてくれということか。
では出たい場面とはどういう場面か。
大差で勝っているときの守備固めか。
抑え込まれている時の代打か。
そういう責任から逃れられるような言い訳が効く場面か。
結局、選手でいる以上は試合に出なければ職を失うということだろう。
嫌な思いをしたくなければ試合に出なけりゃいけない。
打席に立つこと、守りにつくことを拒否したいのなら、その前に辞意を表明しているはずだ。
バントは成功して当然と思われているからプレッシャーがかかるのだろう。
バントはバットを止め、球を当てて前に転がせばいいだけ。
だから簡単であり、成功して当然と思われている。
確かにそこまではそう難しくない。
バッティングはスイングするから動いてくる球に当てることが難しくなる。
しかも、芯という狭い範囲に当てようとするから難しい。
それをはじめからバットを止めておいて、しかも芯に当てなくていい、というのだから
難度は極端に下がる。
だが、狙ったところに転がすということになると難度は急激に上がる。
一、二塁は前に転がせばいいだけでは成功しない。
狙っていないところや強いゴロではまずい。
理想は三塁手に捕らせるゴロだ。
結構、技術がいるのにもかかわらず、成功して当然と思われていることがプレッシャーになる。
これが嫌なのだ。
だから考えを改めるようチーム内に浸透させて、バントは失敗も高い確率であるよと、
周知させれば、バントのサインは嫌じゃないだろう。
むしろ、失敗もあるよね、と思われている中でバッティングより難度は下がるのだから
嫌なことはなにもないという理屈になる。
プレッシャーを排除できれば、チームが勝利に近づく場面は喜ばしいはずだから
嫌なことは何もない。


