日本人の発想として、つらいことに耐えて、そうして成長でき、
栄光を獲得するという観念がある、ということを昨日、記した。
その中でも高校野球は旧態依然の象徴的存在だから日本人の発想をよくあらわす。
2023-9-5 練習はウソをつかない もうできない それでいいんだよ
つらいことでうまくなるとは限らないし、苦労するほどうまくなるわけではない。
むしろ下手になることもあるし、やらない方がよかったということも多々あろう。
以前、ダルビッシュが発信したことで、今、球界のトレーニングに反響を及ぼした、
ピッチャーの長距離走不要という考え。
長距離を走ることは他のトレーニングで身に着けた筋肉をそぎ落とすことにもなるので
不要というよりむしろ悪弊だと言う。
野球選手は長い距離を速くは走ることができないので、長い距離をゆっくり走り、下半身を鍛える。
野球選手が長い距離を速く走ることができないのは体が大きいからだ。
大谷、ソフトボールの上野といった球史に残る大選手も長距離走は大嫌いと言っている。
ダルビッシュも体が大きいので長距離走は嫌いなのだろう。
嫌いだからそれに変わるトレーニング方法を見つけ、さらにそれは体をでかくし、
筋肉をつけるものだったから、そうなると長距離は体をそぐことになり不要を叫ぶようになったと思われる。
もともと嫌いだから、ということが大きな理由だと思われる。
長い距離を走ることを苦にしなければ、きっと否定しないだろうし、練習に取り入れるだろう。
長距離走を不要という人も下半身をないがしろとは言っていない。
また、それ以上に上半身のトレーニングでも賄えるし、そちらの方がいい、と思っている場合もある。
だからと言って、下半身が必要ないとは言わず、長距離走に代わる、スクワットなどで鍛えている場合が多い。
走ることが好きなら、走ることでもパフォーマンスを上げることは可能だ。
嫌なことをやった先に栄光が待っているとするアンチテーゼということも大いに関係しているだろう。
それを否定するため、あるいはそこを避けるため、あるいはそこから逃げるために、何か他の理論なり、方法なりを探したのだ。