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横綱批判をそのまま返したろうと思ったのに

照ノ富士が大関昇進を決めるに至った夏場所。

まさかの4敗を喫した白鵬は、

マスコミとのやりとりに警戒感をもっているようだ。

 

事のはじまりは、33回目の優勝を決めた後の記者会見で

稀勢の里との1番での、「ものいい」に対して

翌日の記者会見で自ら”ものいい”をしたら各マスメディアがこぞって

白鵬を非難したことにはじまる。
その非難の根本にあるのが横綱の品格ということ。

 

そもそも判定のあり方に問題提起したことが出発点であったはずが

鬱積していた自身への差別感がぬくえず、言い回しが印象を悪くしたため

判定の問題から不満や批判へと問題がずれてしまった。

判定のあり方という焦点をずらし、

そこへ問題提起したら横綱の品格などというものを持ち出した。

 

協会や審議委員は組織の権威や権益を守りたいがために

話題を変えることで自らに向けられる非を避け、

マスメディアは話題性があるため同調した。

割と相撲に精通している人たちは白鵬擁護の発言をして

そうでない人たちは、横綱にふさわしくない態度だという

的外れの事なかれ発言をしていた。

 

と、ここまでは、本来、横綱の品格は焦点にならないはずだった。

 

しかし、夏場所での白鵬にはその横綱の品格を持ち出されるべき

行為を目にすることなってしまった。

 

以前から

仕切りの際、勝負俵を踏みつける行為、

懸賞を受け取ってからの振る舞い、

に形式美や精神性を重んじる相撲にはふさわしくない態度として

取り上げられていた。

 

外国人であり日本語の微妙なニュアンスを表現できないという

ひいき目で見ても

人生の先輩である私からは、発言内容が幼稚だ、と感じる部分が

多々あった。

 

それでも異文化の国で、

しかも

相撲という日本においても独特の伝統と文化を今だに継承している世界に、

10代の頃から飛び込み、

最高峰まで上り詰めたその精神、根性、自律といったものに

私は大変、敬意を払ってきた。

 

夏場所の豪栄道との一番で首投げに屈した。

 

私には

「首投げが決まったか?」「いや豪栄道の体が落ちるのも微妙だぞ」

と思ったものの、「ものいい」さえつかず、軍配通り豪栄道となった。

 

横綱は納得いかないままの表情であったが

スローで見ると白鵬のひじが先についており、これを審判団は実に確認していたのだ。

すると

この一番は礼をしていないように見えた。

 

テレビの画が切り替わってしまったので

その後、きっとしていたのだろう。(と信じたい)

 

しかし、豪栄道が礼をして、

しばらく白鵬は「ものいいだろう」と言いたげに礼をせず立ったままだった。

 

これは問題だ。

普段負けることが少ないから、たまに負けると悔しさが人一倍なのか。

格下の相手に首投げなどという技に屈したことに納得いかないのか。

 

どちらも気持ちはわかる。

 

それでも礼だけはしなければ相撲でなくなる。

 

相撲をとることだけが力士の務めでなく、

相撲をとることだけが相撲ではない。

 

もともとスポーツという概念がない日本には

相撲、柔道、剣道etc・・・には、

それをもって、道を極めるという人生と一体のものだ。

 

思想、正義、道徳をも含む、心技一体でなりたっている。

スポーツとしての勝負をしているわけではない。

 

そんな中こんな記事を目にした。

剣道からKENDOへ 世界大会で見せた日本の心

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO87539520R00C15A6000000/?df=3

 

すごくいい話だ。

 

剣道の精神を実践する諸外国の剣士の姿勢と

礼節をなによりも優先した日本の女性剣士。

 

さらに柔道精神が希薄化することは避けたい

という全日本剣道連盟の姿勢。

 

来場者にまで禁止事項をつけ、

その来場者も安易な国際化や普及を迎合しない姿勢。

 

どれも伝統を大切にしている。

 

以前の

白鵬非難の時は事の本質が横綱の品格についてではないのに

そこを持ち出し、なんでもかんでも横綱の品格に話をすりかえて

自らを顧みない審議委員や協会の姿勢に苦言したのだが

今回の所作により、以前から含めて

白鵬に非が行ってしまう。

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