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続・引き際のやせ我慢

清原の惨事がとびこんできたことにより、清原についての回顧録と特集を12日間に及び記してきた。

 

その前の話にいよいよ戻す。

 

斉藤が殿堂入りしたことにより端を発し、

斉藤の引退が早かったことでプロの引き際について言及してきた。

 

そんな折、甘利議員が大臣を辞め、その時に

「やせ我慢の美学」という言葉を発したその2日前にこの場で

「やせ我慢でも強がりでもプロはかっこつけることが必要」と言った。

 

甘利議員はまさにそのタイミングでこの言葉を使用して辞めたことになる。

 

さらに今、スポーツ界で頻繁に使われているレジェンドという言葉。

 

発端は、葛西がオリンピックで活躍したことからだった。

その後、年寄りのスポーツ選手にこの冠がつくことになる。

 

カズ、山本昌、伊達公子。

 

しかし、長くやることを指してレジェンドと言うには、あまりにも浅薄すぎることはさんざん記してきた。

その功績においてでしかレジェンドにはならない。

 

そして球界の真のレジェンドについてスポットを当て、その中でイチローと野茂を取り上げた。

 

長くやることに固執する選手は見苦しい。

せっかく過去の栄光もこれによりかすむことになる。

 

駒田、工藤、山本、中村、下柳などはそういう印象だ。

松井稼も魅力がない。 松中も。

 

そして今、まだ頑張ろうとしている多村。

育成でありながらもまだ、プロ野球選手に固執している。

 

もう自分の時代じゃないということに気付かなきゃ、

未練がましいとしか映らない。

 

これで仮に1軍で試合に出たとする。

 

だからなんなのだ。

本人の生活はでき、好きな野球ができていいかもしれない。

 

しかし、プロの世界は、まだやれるからやればいいということにはならないのだ。

突出した成績を残さなければ、そこそこの成績くらいなら若い選手を使う方が有意義だ。

 

まだできるくらいの実力なら若い選手にいくらでもいる。

老兵など使いたくない。組織が新陳代謝を起こさない。

最大の理由はファンが飽きる。

 

ファンは常に新しい顔を求めているのだ。

 

明日へ・・・

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