「周囲の人間はどう見ているのか イチローと本田圭祐のスゴさ」
4番手を受け入れることがそんなに素晴らしい姿かね。
イチローほどのスターが4番手を受け入れることは、日本のファンにとっては鏡の姿でない。
横柄なまでにレギュラーをよこせと言ってもいいし、レギュラーを取りに行く姿勢こそがイチローだ。
この鏡という言い方は捉え方に過ぎない。
イチローは4番手を受け入れているというより自分のすべきことをこなして
それをアピール材料にレギュラー奪取の姿勢をしていると捉える方が正しいだろう。
わざわざ直訴して懇願することが美しくないという日本の美意識とイチローの美意識がそうさせている。
奇跡の男・イチローが補欠でいる姿などなんの魅力もなければ、ガッカリさせられる姿勢だ。
だったらもう辞めたらいい。
王は30本のホームランを打てる力がありながら
「王貞治のバッティングができなくなった」
と言ってバットを置いた。
スーパースターとはそういうものだ。
監督が「ベストオブベスト」と言っているのも裏を返せば扱いやすいと言っているだけだ。
所詮、世間はこんな見方なのだろう。
巧みな言葉づかいでおおげさなものいいをして、さもたいそうなことのように言っている。
それらしく書いているが、中身は的外れだ。
ひとつひとつ検証してやろう。
「偵察中の他球団のスコアラーをも震撼(しんかん)させたのではないだろうか。」
他球団のスコアラーはとっくに大谷の打者としての能力を知っている。
軽く振っただけでもセンターのフェンスを越す打球。
打者に専念すれば、中核を担う素質。
今更、この2本を見たからといって震撼などしない。
しかも、大谷の打ち方は左中間に伸びる打ち方だ。
「注目すべきは引っ張りたくなるコースを、中堅から左方向に打ち返したことだろう。普通の打者ならコースに逆らった打撃となりかねないが、大谷は「中堅から左方向にいい打球が出るのはいい傾向」と、打者としての持ち味は左方向にあることを自覚している。またその技術もある。
ここでも大げさな物言いだ。
引っ張りたくなるコースとか逆らった打撃とか技術があるとかじゃなく、大谷は打ちに行くとき、
右肩がぐっと入り、バットのヘッドが投手方向に向く。
自然、左中間へ行く打球が質のいい打球になる。
さらに差し込まれても大谷のパワーがあれば、飛んで行くのだ。
「投手とすれば、あのコースを左方向に持っていかれ、しかも本塁打にされたら、もう投げる球がないというほどショックを受けそうな内容だった。」
ひとつのコースを打ち返されたからと言って、即もう投げる球がないとはならない。
難しいコースを得意としていても、ど真ん中を案外打ち損じる打者や
緩い球が苦手な打者など打者の特徴で得意、不得意というものは存在する。
それは、配球によっても間合いによっても攻め方は無数に存在する。
長くなってしまったので明日へつづけよう。