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東大の野球を強くする取り組み 東大ってそんなことのためにあるんだっけ

先日、東大野球部を特集したテレビ番組を観た。

野球部を強くするために、野球がうまくて成績優秀な高校生の情報を掴むと、

入試突破のテクニックを教え、

東大で野球をやってもらおうと囲い込むという取り組みを以前からしている。

そうして囲い込んだ数十人の中から、入学できる生徒は1割もいないということだそうだ。

そうだろう。1割もいたら高い方という感覚をもつ。

 

印象に残ることばとして、監督が

「君たちは、東大に入るんじゃなくて東大野球部に入るんだ。」

大いなる錯覚だ。

教育ということや、いわゆる勉強をするということをはき違えた取り組みだ。

 

東大は日本の頭脳となるべき人間を育成する場所。

あるいは、人類の発展、平和、安寧に寄与する人間を育成する場所だ。

断じて野球部を強くするために人を集める場所じゃない。

頭脳明晰な人間の才能を、さらに伸ばすためにある環境であり、その中で野球が好きな人間は

野球をやったらいいという場所なのだ。

他の私立5大学とは理念も存在理由も違うのだ。

 

その、意味合いの異なる大学である東大が、六大学野球などというリーグに所属してしまっているから

こういう錯誤が起きる。

 

もちろん、東大生だって野球に情熱を燃やしていい。

ただし、入学の目的を六大学野球で勝つために、大学側から囲い込むとしてはだめだ。

 

東大が6大学野球に所属できるのは、単に古いからという理由。

もともと野球は頭脳明晰で日本の将来を背負って立つエリートの遊びだったからだ。

野球を日本に根付かせる原動力は、東大の学生だったから。

 

昔の六大学野球は花型だった。

プロの野球より人気がある頃もあり、今ほど人々に野球技術が浸透していなく、

高度な技術がなかった頃、花の都・東京のひとつの文化として大いに人々を

歓喜させた時代があったもの。

 

その野球を日本の文化とした功績を無下にすることはできないので、東大は、実力が伴っていなくとも、

神宮の舞台で他の野球エリート5大学とやらせてもらえる資格を持つ。

しかし時代は変わった。

 

進学校から野球部員になった東大野球部と野球名門校出身者で構成される他の5校が同じリーグなんて

ハナから勝負にならないに決まっている。

 

東京六大学リーグ以外では2部リーグがあったりして

その実力を競い合わせる仕組みになっているが、六大学野球は旧態依然だ。

 

そりゃ東大の選手はいい。

高校時代は、早稲田、慶應、明治、法政、立教で野球をやるような選手になんか

相手にしてもらえなかったはずだ。

それが、東大野球部というだけで負けが続いたって無条件で試合ができるのだ。

しかも、神宮の舞台で。

他の5大学は東大を相手にするのなんかいや。

面倒くさいと思うはず。

 

アマチュアスポーツにはこういう差別をしないような精神が根強いが、

システムとしてもう誰もが飽きている。

東大は六大学から退去したらいい。

 

東大でなら、ベンチに入ることができ、神宮で試合ができるからと受験勉強をがんばろうとする

選手がいるようだ。現監督も東大を選んだ理由はそうだったらしい。

東大なら神宮で六大学野球としてプレーできるかもしれないというのは少々、不純といえよう。

最弱のチームでシステムに救われ、

何度負けても離脱の憂き目を見ない仕組みに寄りかかろうという発想だから。

ただ、東大で野球をやりたいから一生懸命、勉強しようという動機はそれでもいい。

勉強する動機など、きっかけは自由だ。

宮台のようにプロになる選手も出てくることも大いに結構だ。

高校時代、無名の宮台が東大野球部で一生懸命、努力した結果がプロ指名となったのだから

素晴らしい。

ただ、これはあくまで入学してから野球の成長が見込め、打ち込んできた結果。

だが、大学側が野球を強くするために、受験テクニックを教え、入学を乞うようではだめなのだ。

東大はそんなことのためにあるのではない。

明日もこの話題を。

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