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一度下した判定が間違っていれば、覆すことは何の問題もない 判定についての総括Ⅶ

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2016年の岡山県予選決勝、創志学園vs玉野光南では、

玉野光南の選手はマウンドへ集まり歓喜の輪を作った。

ところが、最後のプレーと思われた打球は、

打者の自打球アピールにより判定はファールで試合が再開された。

 

一度下した判定が間違っていれば、覆すことは何の問題もない。

一瞬の判断で出す決断を完璧なものにしろという方が無理な話であり、

自打球だったのなら、判定を覆すことなどまったく問題ない。

 

そもそもこのプレーは、覆したわけでもない。主審はフェアのジェスチャーをしていないように見える。

つまり、プレーを継続させ、完結したのち協議に入ったのだ。そして出した結論が自打球だった。

 

この自打球は、再現映像で見てもはっきりせず、しかも甲子園決定かという場面だったがために

事が大きくなってしまい、それが故、今後の課題として突きつけられる形となった。

 

しかし、一瞬で判断するには難しいプレーであり、

映像でもはっきりしないようなプレーを協議して結論を出したのは、正しい姿勢だ。

一旦、プレーを継続させ、協議に入ったことも正しい姿勢。

勝ったと思った玉野光南に対する同情は禁じ得ないが、

こういうことは起こり得るし、判断としても責めを負うものではないように思われる。

 

これとは違い、責められるべきものであり、いつまでも変わらず辟易させられるのが

明らかな判定ミスだ。

特に、ボール球をストライクとコールする主審。

1試合観ていれば1度や2度でなく、全イニングでボール球のストライク判定が繰り返される。

ボールふたつは外れていてもストライクだ。

これは、高野連の方針があると思われる。

そうでなければ、これだけ長く、ひどいコールが続きはしないはずだ。

 

それから、アウト、セーフの判定違いも多い。

大事な場面で観客だれもがセーフとわかるタッチプレーをアウトとされる。

それでも誰ももう一度協議してほしいと訴えることができずに、淡々と試合は続く。

アウトをセーフと言うケースは少ないが、セーフをアウトとすることは多い。

 

ボランティアだから、自分を犠牲にしてやってくれている人に文句は言えないなどというのは見当違い。

ボランティアだろうがなんだろうが間違っていいわけがない。審判の実力が劣っていい理由にもならない。

果敢に審判の任を引き受けようというなら、無償だろうがしっかりした判定を下す覚悟を持って

臨まなければいけない。

選手たちは青春を賭して、この試合に臨んでいる。

審判の実力などに試合を左右されてはたまらないのだ。

判定に情も雰囲気もいらない。正確のみが是となる。

もっとも責任があるのは審判ではなく、高野連の方針だが。

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