佐川長官辞任を受け、その任命者となる麻生財務省にも責任がとの追及がある。
麻生財務省はその風貌や態度が、華麗なる一族のためか横柄に映り、
嫌いという人をあちこちで耳にする。辞めちまえとも。
ただ、人間的に好きになれないからと、地位から排除しようというのは子供のすることと一緒で
短絡思考であり、いじわるやいじめと共通する。
人間的に好きと政治能力とは別の話だからだ。
人間的にきらいであっても、国家を有益にリードしてくれる能力があるなら続けた方が良い。
長く経験して活かせるキャリアは、好き嫌いに目をつぶり続けてもらった方が良い。
むしろ、いい人と言われるような人の方が人の上に立つには厳しい。
世の中が皆いい人ならそれでいいが、世の人は千差万別だから清濁併せのむ人が導く人となる。
そもそも世の中いい人だけなら政治がいらなくなる。
器量がある人は、異端児として嫌われるもの。
いい人とはバランスがとれる人を言うことが多い。
能力に秀でるより多くの意見と感情を丸められるということになり、事なかれに収まりがち。
人間的に好きで長年の付き合いがある人に対して
例えば、一緒に会社経営をして、方針や意見が違えば袂を分かつことはよくある。
例えば、出馬して政治を目指しても、政治姿勢が違えば、応援しないこともある。
それでも、人としての付き合いは変わらず、好きという気持ちも一緒。
野球も人間的に好きではないけど、チームが勝つためには一緒にプレーする。
その実力は認めるので、勝つためにはいてくれないと困る。
プレーする時だけは野球人としての付き合いをする。
実力があるだけに、野球人としてはきらいではない。
さあそれで、プロの野球チームにも近視眼的な考えを発展させるべきとなる。
球団の利益ばかりを考えた施策ではだめであり、
球団を運営するということは野球発展の責任を背負うことと理解する必要がある。
広告塔や話題、ステータスという思考で所有したとしても
プロのチームは企業の所有物ではなく、野球を愛する者のためであるということ。
野球を志す者と野球ファンに対して導くべく球団経営をする。
経営と選手の折衝だけでなく、
経営と現場の調整だけでもなく、球団の利益となるためのファンへの提供といっただけでもなく、
野球文化の一翼を担った責任を遂行すべく活動することだ。