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敗れ去った球児たちも人生にとって大きな意味がある

全代表が決定した。

最後を締めくくる形になった春夏連覇を狙う大阪桐蔭は、決勝戦記録的大勝といったところで、

史上初の2度目の達成に弾みをつけた。

履正社戦が危なかっただけにこれにより大阪桐蔭関係者の期待は膨らむ。

 

ところで、100回の記念大会ということで56チームが代表となった今回だが、

各地の代表決定トーナメントを最近は、地方予選とか甲子園予選とか言わないようにしているらしい。

テレビや新聞といったマスコミは、予選を使わず、地方大会という言い方を薦めているそうだ。

 

理由は、いわずもがな地方大会は予選じゃないということだろう。

甲子園での大会は全国代表が集まる大会であり、

その前の各地の大会はその代表を決める大会であると同時に、それだけが目的でなく、

全高校球児に用意された一大大会という意味を込めたいということ。

 

どちらの言い方でもいいけれど予選という言い方だって一向にかまわない。

最近は、運動会で順位をつくらないとかと聞くことがあるが、同じ感覚に思える。

子供を傷つけないとか子供に阿る発想か。

 

地方大会だって、甲子園大会同様、これまで一生懸命やってきた全ての高校球児が輝ける舞台であり、

そこには、甲子園出場のための予選という位置づけでないドラマを含んでいる意味合いか。

 

確かに、地方大会こそ高校野球だ。甲子園に出られる選手たちはいわばご褒美。

ただ、そんなに言い方や意味合いに気をつけるのなら

現在の誤審だらけの仕組みや試合進行を優先する態度、過密日程など、もっと優先して取り組む

課題がある。

こちらの課題の方が重大なのに、教育の一環と言い続け、突っぱねてきた態度と

言い方くらいに気をつける態度は矛盾することになる。

 

予選と位置づけ、その予選に敗れ去った敗北者として胸に刻み、その先の人生の糧とすることだって

大きな意味がある。

この感覚を味わい、身に着けることは人生における重要な情緒につながる。

後悔や挫折だって人生の教訓だ。

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