大谷が手術に踏み切るらしい。
いつかケガは必ずやって来る。五体満足でプロ生活を続けている選手はいない。
そこを体の負担を強い、専門のトレーニングに打ち込めない兼任はケガのリスクをさらに高くする。
これまでも毎年のようにケガをしてきた。ついに手術にいたるケガとなった。
この場では、日ハムが兼任を打ち出した時、つまり大谷1年目から言い続けてきたことだ。
しかし、大谷がこうなったからと言って、“それみろ”というわけではない。
毎日のように試合があるプロの世界で兼任をやっていては、
大谷の持てる能力の全開は無理だから言っている。この宝を潰してほしくない一心だ。
投げても、打っても超一流の大谷には、
どちらでもハイレベルなパフォーマンスで驚かせてほしい気持ちはある。
しかし、それでは大谷の能力全開にはならない。大谷も1人の生身の人間。
だから、そこは観る側が多くを求めてはダメなのだ。
観る側も冷静に、そして時に我慢をして、大谷の最高のパフォーマンスを楽しみたい。
肘にメスを入れるということは、ピッチャーとしての復活を期しているということになる。
一方で打者としては、出場が早いともされている。
きっと、まだ兼任を続けていくのだろう。ケガの原因を追究はしたのだろうか。
ピッチャーとしてのトレーニング、ケアを十分にしていれば、ということを考えたのか。
ピッチャーとしての復帰が遅れ、その間、打撃で今のような活躍をしていれば、
ますます、ピッチャー専念という判断ができなくなるだろう。
そして、打者あるいは野手の時にケガをすれば、ピッチャーへの影響が出る。
ピッチャーでのケガは野手や打者への影響がない場合も多い。
いっそ、そうなったら打者専任となってもいいくらいだ。
昨日も、本塁で相手ピッチャーと交錯し、打撲している。
野球選手は必ずケガをする。
どちらかに専念していて怪我をしたら、それは野球選手としての宿命なので仕方がないが、
野手としては何でもない怪我でも、繊細なピッチャーはできなくなる可能性がある。
毎日試合があり、疲労が蓄積され、蓄積された疲労をとっている暇がないのがプロの世界。
さらに、戦場は世界の強者が集まるMLB。日程もきつく、移動距離も長く、時差もある。
毎日試合があるプロの世界であっちこっちに手を出して、
最高のパフォーマンスをするなんて無理だ。それをこの先、何年もなど絶対に無理。
もともとは海外プレー希望の高校生だった大谷少年をドラフトで翻意させるために繰り出された
栗山のリップサービスで始まったものだ。
一度球界を離れ、テレビの世界に入り、エンターテイメントが身に染みた栗山ならではの構想だった。
そして、日本の野球界にとどまらず、各方面で話題を提供し、影響を与え、
一応の成功の評価をもらい海外へ渡らせる道をつくることができたので栗山はホッとした。
この責任とプレッシャーから解放された。
大谷の兼任は無理という人には古い考えで常識にとらわれているとされ、非難されることが多く、
逆に、兼任賛成にはやってみなはれという精神が奨励されてきた。
しかし、無理なものに対しては挑戦とは言わない。
無謀というのだ。
「俺は空を飛べると思うんだ」
「やってみなはれ」
屋上から飛べると信じてみたが落ちて死ぬことになる。
やってみることで取り返しがつかないのだ。
「原子力の廃棄物を宇宙へ捨てることが得策だ」
「やってみなはれ」
途中で爆発して拡散したらもう取り返しがつかないのだ。
見たことがなかったポテンシャルを目の当たりにし、
ピッチャーとしても打者としても、他のプロの選手を超越する姿に驚きを受けた。
だが、それが大谷の最高の起用か、最大の効果を生む方法か、
そして、大谷の能力を最大に発揮させるやり方か。
20代前半のこの大事な時期にケガを多くしている。
もっとも成長が見込めるときに、誤った選択で見込めた可能性を失うことになり、
取り返しがつかない。
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