本来、野球は勝利で喜ばせるものだ。
団体競技である野球において、選手は勝つためのピースだ。
ところが、イチローは海を渡る決断をした時点で、記録で喜ばせるしかなくなったと言える。
日本人で熱心なマリナーズファンなどいるのだろうか。
シアトルにしばらく住んでいるという人ならいるだろうが、日本に居ながらにして
そのような人は皆無だろう。
日本にいながら、マリナーズには感情移入しにくい。
日本のチームなら、そこに属する選手は高校生の頃から見たり、
文化を理解できるから応援しやすい。
となると、日本にいて、マリナーズの試合を観る人は
チームの勝敗を気にしないことになる。
実際に、この日本でのオープニングゲームでマリナーズが2連勝しているということを
気にしている人はほぼいない。
そういう意味では、本来の野球の見方ではない。
イチロー個人の動きに注目し、記録を期待するという。
勝利ではなく、記録で喜ばす選択をしたものの、この高いハードルを
見事に超えてみせた。やっぱりイチローはイチローだった。
本当の意味で応援していたのはWBCの時だけなのかもしれない。
チームの勝利のために、イチローなら何をしてくれるのだろうと、どんなプレーで
応えてくれるのだろうと。
あの時のイチローの一挙手一投足にワクワクし、日本を勝利に導くべく、
打席に入り、ポジションに就く姿には胸と目頭がずっと熱くなったものだ。
イチローの連続200安打が途切れ、打率が3割を切ってからは、
あのイチローでもそんなことになるのかと、奇跡の男も人間だったのかと
考えを改めさせられた。
だが、イチローに引退はない。
奇跡を見せ、常識をことごとく覆した男は、次に何をしてくれるのかと期待する。
ずっとイチローは野球人であるし、お疲れ様ではない。
お疲れ様という言葉はありがとうございましたという意味では言いたい。
それは、お疲れさまでした。ということばを言わずにはいられないから。
でも、イチローはまだまだ、止まらないからお疲れさまではない。
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