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高校野球とプロ野球に見る時間の差 野球はレベルが高くなるほど間合いに神経を使う

高校野球とプロ野球を見比べると試合時間が極端に違う。

高校野球は短すぎる=粗すぎる試合が多く、

逆にプロは間延びしていると感じることもしばしばだ。

プロでは時間短縮がよく叫ばれ、高校野球のスピードアップは命題だ。

なぜだろう。

例えば、好きなアーティストのライブの時間が決まっていなかったとしたらどうだろう。

憧れのその人が目の前にいたらずっと見ていたい、そばにいたい。

いつかは飽きがきそうだが、できるだけ長い時間その空間が続けばいいと思う。

本当に好きなら、その時間がずっと続けばいいわけだ。

本当に野球選手が好きなら、生で、目の前でその人がいるならスピードアップなど

いらないという理屈になるが、野球に関しては数時間で終わっても悲しくない。

それは、野球というゲームを観に来ているから。

ゲームを楽しむのは長いからいいというわけではないわけ。短いからいいというわけでもない。

プロでは時間短縮が叫ばれ、

攻守交代の短縮や投球間隔の短縮に、よく施策がうたれる。

だが、15秒ルールはあっという間に聞かなくなった。

たしかにプロの試合は長いと感じてしまうものだ。

テレビで観ていれば、ずっと画面の前で一球一球見ているなどという人は、

それがマスコミなどの仕事に就いている人でなければ、まずいまい。

何かしながら、お?打ったか?とか、他の番組を回してみながらというケースは多い。

球場で見ていても、満員であれば、一度、席に着くと

なかなか立ったり座ったりに気を使う。

心地よいとは言えない狭い席にずっと座っていると、背中、尻、肩と痛くなってしまう。

何か食べ物でも買ってくるか、とか、タバコでもとなる。

しかし、本来、野球はレベルが高くなればなるほど間合いに神経を使う。

一球一球を慎重に考え、1打席1打席に読みを効かせ、

1球1球のプレーや作戦の選択を考えると間合いを大事にするため、長くなってしまうのだ。

その1球1球の間も勝負の内なので、その瞬間の仕草やベンチの様子にも視線を向けると

戦況が見えてくることもある。

それが野球というスポーツであるのだ。

その間において、選手はどんな考えをしているのだろう、

ベンチの作戦、戦略はなんだろう、と考えながら観ることで深さを知る。

しかし選手やベンチの感情は知りえず、こちらは想像したり予想したりして楽しむしかない。

観客も楽しもうと思えば頭を使うことになるわけだ。

すると観客も疲れることになる。

しかし人間の集中力は試合時間の3時間ももたない。

すると、間延びした感やダラダラ感をどうしても持ってしまう。

球場で見ていたら延長はかんべんしてくれと思ってしまうものだ。

ファールを打っていると早く前へ打てよ、とか、牽制ばっかしてんじゃねーとか。

だが、打席に立つ打者は、その1球が終わった後、次の戦法を考える。

ストライクだったら、ボールだったら、ファールだったら、変化球だったら、

空振りだったら、あらゆる状況で次にとるべき対応が異なってくる。

ヒットを打とうか、セーフティーでも仕掛けようか、球数をかけさせながら待球しようか、

などと思考を巡らせる。バッテリーはその逆であり、同様だ。

高校野球が掲げるスピードアップは、野球への深みを与えない。

自然、高校球児が野球の本質を理解するに距離を遠くさせる。

たとえば、甲子園でお互いが大型チームの対戦となると、試合展開が単純淡泊になりがちだ。

そういうチームは、普段から力でねじ伏せる野球しかしていないため、

細かい策略を施さない。

打つか抑えるか、ただそれだけ。考えている余裕がない。粗い野球になる。

考えない野球をすると、ランナーがいる場面で簡単に投球したら、

バントやエンドラン、盗塁、スクイズを決められてしまう。

ランナーがいる場合、牽制を入れたり、ボール球から入ったり、相手の出方をうかがい、

野手にも、その意思を統一する必要がある。

野球はそういう仕組みになっているので、

動いていない時間が多くなるのは、仕方がないことであると同時に、それが醍醐味なのだ。

その野球の醍醐味である駆け引き、心理の読み合い、間を使うことをするには

スピードアップをしていたら実現しない。

スピードアップばかり叫ぶことは、選手の勝つことに対する執念を無視していると言える。

高校野球に、もうちょっと、一球一球のもつ意味をかみしめ、顧み、根拠をもたす意識が浸透すると

技術の向上だけでなく、レベルが上がる。

野球というスポーツの性質からスピードアップは淡泊になり、深みをなくすことになる。

野球の魅力とは間合いとか心理戦にあるということを観ている側も理解したい。

イチローの名物であるルーティーンは高校野球ではできない。別にこれはできなくてもいいが。

アップテンポを求めるのは興業主と古い野球人に見られる。

興業主はスポンサーとの兼ね合い、コスト削減のためアップテンポを求め、

古い野球人は、情報も分析も不足していた時代の野球しか経験していないため、

野球の進化について来ることが出来なくなったためだ。

情報も分析も不足していた時代の野球とは、

どんな状況であれストレート勝負が男の勝負と称賛されたり、

バントやつなぐ野球はせこく、打ちまくることが野球の醍醐味とされたり、

どんな状況でも真っ向勝負こそがファンを魅了するとされたり、

怪我をも押して、投げ続けることが責任のある投手のすることとされたり、

朝まで飲んで一睡もせずに試合に来て、それでも打ちまくる野武士軍団が愛されたり、

といったようなこと。

こんなものは、レベルの低い頃だから通用しただけで今は、こんなものは全く通用しない上に

かっこいいことでも面白いものでもない。

高野連から審判団には試合時間短縮が徹底されている。

アマチュアの試合で観客を飽きさせないなど考える必要はないし、何のためなのだろう。

球場確保の都合があるのは、主催者の勝手。

そこに青春を燃やす選手の都合は何もない。

U‐18の国際戦を観ると、海外の、特に北米の選手たちは、

プロと見まがえるほど、間をとる。ここで駆け引きを使ってくる。

高校生には潔い、ハツラツとして、さわやかに、淡々と試合をこなすことを強いといて

いざ、プロの段階や国際大会になると、途端に勝つことに熱狂する。

民族性からしてそうなることは当然だが、高校野球に求めていたものを、

いきなり方向転換されても成功を手にすることはできない。

高校野球ではハツラツ、さわやか、淡々を求めておいて、状況が変わると、

勝つことを最高の喜びとするなら、世代、世代で区切っていても無理だ。

もっと野球を長期的視野で捉え、一貫した仕組みが必要となり、

高校生の成長を高校野球にだけ頼っていては、進展は小さい。

相手への観察や次のプレーへのイメージ、試合運びへと思考が向くことは

教育の範疇にあるといえるはずだ。

プロの試合時間を短くするなら、打者がもっと早く、バッターボックスに入るよう、

登場のテーマをなくしたり、余計な演出をなくし、始球式や応援チェアをなくす

ことでも変わるのでは。

いっそ、イニングを9回より少なくすれば、もっと簡単だ。

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