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オリンピックに野球はいらないⅡ 剣道はオリンピックを拒否し続ける

昨日は、2019-6-19 オリンピックに野球はいらないということを記した。

 

剣道はオリンピック競技になることを拒否し続けている。

そもそも、剣道はスポーツではないので、当然ともいえる。

日本には元々、スポーツが存在しない。

体を動かし、勝敗を決する仕組みのため、相撲や柔道がスポーツと思われがちだが、

日本にスポーツは存在しない。全て、武道であり、文化だ。

 

剣道がオリンピック競技へ一線を画しているその精神性はとてもいい。

 

武道は心技体を含む、人生と一体のものであるため、

勝負に勝つためだけにやるのでなく、そこには生き方の美しさとか信念とか

徳が含まれる。

だからこそ、ガッツポーズは問題にされ、許されないわけだ。

生き方として醜いから。

礼ではじまり、例で終わる。

形式美があるから。

ところが、国際大会では、ガッツポーズがあり、礼をしない奴も見られ、

客席からはブーイングが発生する。

こんな状況でオリンピック競技になどなる必要はまったくない。

 

卓球の選手がオリンピックで激しく喜び、寝転がるまでに喜んだ姿に

いつも、老害だの喝だの言われるあの人が苦言を呈したら、案の定、騒ぐ連中がいたが、

武道のこの精神を理解できていない、見識の無さと鈍感さのせいだ。

 

ここで以前にいたく感心させられた記事について触れる。

剣道からKENDOへ 世界大会で見せた日本の心

すごくいい話だ。

 

剣道の精神を実践する諸外国の剣士の姿勢と礼節をなによりも優先した日本の女性剣士。

さらに剣道精神が希薄化することは避けたいという全日本剣道連盟の姿勢。

来場者にまで禁止事項を設け、その来場者も安易な国際化や普及を迎合しない姿勢。

どれも伝統を大切にしている。

 

この記事にある日本の女子主将剣士の振る舞いがいい。

 

記者たちの写真要請にも指導者への挨拶を優先させた。

剣道の伝統と”道”の部分を優先したのだと理解できる。

 

それでも、記者たちへの配慮も忘れていないことも素敵だ。

「すみません」と明るく答えながら指導者のもとに駆け寄った。とある。

 

剣道もスポーツではない。

剣による競技を人の道にまで発展させた人生と一体のものだ。

日本における競技は皆そうだ。

 

日本にはもともとスポーツという概念がない。

相撲、柔道、剣道とみな、人生に反映させる。

だからこそ、五輪種目入りに関して

全日本剣道連盟は、精神の希薄につながるかもしれないため、積極的でなく、

その姿勢を誇りに思っているのだろう。

そして、来場した人も賛同している。

すばらしい。その通りだ。

 

剣道や柔道はオリンピック種目にふさわしくない。

スポーツではない剣道や柔道が五輪種目になる必要はない。

 

他のスポーツと同列な印象を与え、

勝ち負けばかりに目が行くようになっては失うものがでてくる。

 

そして、

金メダルやら銀メダルやら俗な考えに縛られるようになっては本来もっている価値を傷つける。

世界選手権が開催され、その競技独自の国際化が図ることができれば十分だ。

 

競技者は最も注目の集まる五輪種目になれば、モチベーションも技術も上がっていき、

それを望むだろう。

しかし、そのおかげで本来のその競技がもつ意味を失っては存在意義がなくなる。

 

柔道では、国際柔道連盟に日本人理事がいなくなる原因に、

権力争いやショーアップ、勝ち負け、ルールといったところがかみ合ってのものだったとか。

スポーツやエンターテイメントとしての目線しかないから柔道の存在意義を理解できず、

こういったことが起きているということだろう。

 

剣道が見せたこの精神。

この剣士も連盟も来場者も同様の考えをもっているのだと理解した。

そして敗れた韓国剣士の態度は潔く、作法も美しかったとある。

 

これらを聞いただけで、その空間を味わいたいと思わされる。

この精神が大事にされることを希う。

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