潔く負けを認めるということは果たしていいことなのか。
いさぎよくの中によくという2文字が入っているので、よい意味にしかとらえない。
潔く負けを認めるがよいことで、すがすがしさを感じさせるのは
見ている側にとっての印象だけの気がする。
傍観者にとってはさわやかさをもたらすので心地よい。
だが、当事者にとってはいさぎよいはしばしば、反省を放棄し、考えることを
やめてもよいという免罪符を意味する。
ことばのさわやかさに胡坐をかいた言い訳ともいえる。
潔く負けを認めるよりも、その前に、劣っていることころを認識する事の方が大事だ。
潔く負けを認めていては、
勝つために費やした時間を無駄にし、勝負への感性を鈍らせることを招きかねない。
それは、既成を容易に受け入れることであり、甘えだ。
怠惰な態度であり、不誠実だ。
潔く負けを認めることは、勝利への執念の欠如と同義だ。
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