先日、ディープフェイクで初めての逮捕が出た。
こういう技術があり、さらに発展するならば、リクエスト制度も疑問の余地が全く入らないとも言い切れない。
やるやらないは別の話で可能となれば疑いの余地があるということ。
そういう目があるということ。
ドームランとかジャンパイアとか飛ぶボールとか、本拠地のチームは有利なことをするとは昔から言われている。
生身の人間の判断は誤りがあることを認め、かつては審判の威厳などと言って受け付けなかった
判定の覆りを機械に頼ることになった。
この機械による映像は神のごとくとらえ、偽物が写り込むことなどないと多くの人が納得した。
ところが、この技術は入る余地がわずかでもあり得ることを示したとも言える。
かつてこの場では、副審制を推した。
副審を4人も5人もおいての判定に誤審はない。それを誤審と言うなら、言っている側の勝手な主観だ。
4人目、5人目のプロの目で判定を下したのなら、それでいいのだ。それが、判定だから。
プロがそれだけ集まり、落ち着いて出した判定はそれで納得いく。
これが機械で確認したものと違っていたらそれは、機械が間違えた、あるいは機械で見るとそう見えるだけ
ということとまでこの場で言ってきたことが現実となった。
相撲のものいいのような仕組みであり、機械が神ととらえる発想は間違いだ、としていたことがここで現実となってきた。
判定において大事になってくるのは納得なのだ。
事実かどうかより納得が大事。
この納得についてリプレー映像での確認という方法をプロは選択した。
これによる方法にほとんどの人が納得するからだ。
映像による確認が事実を映し出されていることに疑いを挟む人はおらず、
冷静に落ち着いて振り返ることで敵も味方もファンも抗議している人も全ての人が納得していた。
フェイク判定は出るか。
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