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2020年高校野球 練習量は減ったけど野球レベルは下がったか

新庄のバッティングを見たが、あれでは全くプロのレベルには程遠く、ひどいと表現していいものだった。

身体もゆるんでしまっていた。やはりこれが歳なのだろうか。

ただ、新庄はバッティングでどうこうする選手ではなく、頼みの綱は外野守備なのだから

そこを見ないと何とも言えないが、バッティングを、走りを見た限り鈍いので守備も

新庄の守備とは程遠いものになっていることだろう。

新庄はおそらく、話題提供と楽しみに来ただけだ。おそらく、復帰しようとは思っていなかったのだろう。

タレント商品価値の向上のためにこの歳での再チャレンジを利用した。

ただ、それはそれで楽しませてくれた。

エンターテイナー新庄としての面目躍如だ。

 

今年の高校野球の夏の大会は各地方大会が独自大会ということで開催された。

例年とはかなり練習量は減ったはずなので野球レベルは下がったのだろう。

下がらなければ、今までの練習は必要なかったとも言えそうだ。

 

練習ができないとは言え、それはいつも集まっているグラウンドで皆でできなかったというだけで

やれることはどこにでもあり、工夫をこらした練習をこれも独自で考えていたものだ。

だからこその独自大会か。

上手くなる、強くなるのは練習量に比例しない。

必要なのは、体力、経験、情報だ。

練習量に比例して強くなるならそれだけやればいいだけだから。

体力、経験、情報を計算して、実地練習ではこれが何に役立つのか、何のためにやっているのか、

ということをいちいち考えることだ。

 

今年は通常とは違う取り組みを行ったため、野球に対して考える時間も持てたことだろう。

離れたことで見えてくることもある。

そうして考えたことが、実は野球の技術にさえつながることもある。

毎日、盲目的に1000回素振りするより、考え、分析したことに時間を費やしたことで

打撃力がUPすることもある。というより、考えることの方が技術を進歩させる。

 

練習はうそをつかない、ということばが好きな人が多い。

ウソはつかないかもしれないが、必ず結果に結びつくとは限らない。

結果には結びつかなかったが、人生においては無駄ではない、という意味でウソをつかない、

ということか。

 

プロでもいまだに、何のためにやっているのかを考えず取り組むことがある。

首脳陣も考えない、やらされる方も考えない。

苦しい思いをしたら実力が上がると思っているらしい。

罰走など何の意味があるのだろう。

罰のために走らせることで苦しい思いをすると、実力が上がるのか。

必要なら、罰でなく練習としてやればいいし、罰であるならトレーニング過多でケガにつながるだろう。

ティーバッティングの連続打ちは意味のある練習なのだろうか。

連続してスイングする機会などゲームにはないし、それによって技術があがるのだろうか。

1球1球考えて、必要な分だけ打つということで事足りそうな気がするのだが。

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