独自大会とか代替大会ということで、静かに始まった印象のある高校野球地方大会も各地で
優勝チームが決まっている。
独自の決まり事を設けて、大会にこじつけた。
東京は2時間20分を過ぎたら新しいイニングに入らないとした。他の地域でもあるのかは知らない。
岐阜大会では試合前後の整列、あいさつは、その時出場の9人だけで、ベンチの選手はベンチ前に並んでいた。
あんまり効果があるとは思えないけど、考えられ、できることはどんどん導入しようということだろう。
ハイタッチ禁止は、プロでも導入しているので、どの大会でも普通の事なのだろう。
これこそ、効果があるとはとても思えず、対策をとっていますよ、というアピールにしか見えないのだが、
ハイタッチなどやらなくていいことだから禁止にしてしまえば、配慮されているという印象を
与えることができるということなのだろう。
無観客か、家族の数人、という観客制限は全国の大会が実施している。
一般客の観戦はできない。それでいて、スカウトは限りがあるものの、OKとしているところがある。
高校野球はプロ養成機関ではなく、家族にも観戦を制限しているのに、この措置は適当とはとても思えない。
高校野球は教育の一環と主宰する側が標榜しておきながら、スカウトの入場OKは矛盾している。
だから、あれだけ酷いストライクゾーン、その他の判定のレベルの低さ、
試合進行を優先する姿勢、というものも許されてきたのに。
スカウトの入場を許可する理由が、「子供の進路を考えると、当然見ていただきたい」だそうだ。
この一貫性のない態度で、よく教育の一環をかかげられるものだ。
東京では球場に入ることができるのは野球部員と、3年生部員1人につき、家族2人まで(小学生以上は1人と数える)
だそうだ。それが、準々決勝以降は1年生部員の家族にも門戸が開かれた。
球場には充分、間隔を開けられるだけの余席があり、もっと人を入れても大丈夫だ。
しかも、外での感染リスクはかなり低いとされている。
一方でベンチ入り人数は不遇な選手の立場を慮って、例年より増えていることで密集度は増している。
どの組織もどうしたらいいのか、右往左往していることがよくわかる。
1球のボールで展開されるゲームではベタベタ皆が触る。
バットもみんなで触ってベタベタ。あらゆる道具、あらゆる場所をみんなで触りまくり。
競技をやる以上避けられないことだ。
その中で、ハイタッチは禁止とは、笑わされる。
そして、喜び勢い余って、ハイタッチはしてしまう。それでも咎められることはない。
プロでも禁止されていながら、平気でやっているし、抱き合ってさえいる。
高校野球も優勝チームは例年通り、マウンドに集まり抱き合っている。
試合に集中、熱中していれば、今まで通りの行為をやめられない。
タイムをとってマウンドに集まる。ベンチでは狭い中で大声を出す。
優勝を決めれば、マウンドでくっつき合う。
負ければ涙に暮れ、目標を達成できれば感涙するから服や腕や手で目をこすってしまう。
そんな中で、閉会の表彰ではソーシャルディスタンスとか言って、間隔を開けていた。
その後の記念撮影では、もっと詰めて、と大人数が密着していた。
こんなバカバカしいことに付き合わされる選手たちは、甲子園を取り上げられた。
この混沌とした光景を見るたびに、甲子園大会は普通にやればよかったものだと
再認識させられる。
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