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夏を奪われる絶望 選手は青春を、人生を賭している

米子松陰の道が開けたということは本当に良かった。

世論が動かした形だが、これを思うと不遇の年に当たってしまった昨年の選手たちはとてもかわいそうだ。

米子松陰のキャプテンの悲痛なツイートは胸に突き刺さる。

高校野球に限らず、最後の大会を奪われる気持ちは、はっきり言って人生に絶望するに等しい。

高校生は青春の貴重な時間をこれに賭けている。人生を賭けているのだ。

 

学校側が規定と照らし合わせ保健所と協議して出場を辞退したと聞く。

学校側が辞退に動かなければ高野連は出場させないということにならなかったのか。

ガイドラインはあるものの、感染者は野球部関係者でなく、接触はない。

野球部は全員が陰性だというものだったそうだ。

一方で今日は野球部関係者に陽性が出た星稜がベスト8に進みながら辞退とのことだ。

規定にのっとると、辞退という形で発表される。それは学校側からの意思であり、

高野連の強制ではない、という印象を受ける。

 

そこで米子松陰の先生のコメントだが、なんとか出場させてやりたいが安全第一、とのことだが、どうも解せない。

この状況を鑑みて出場することとしないことで、どこに差があるのだろう。

感染者が出ようが出まいが最初から出場しない、というならわかるが、

出場するつもりでいたのに野球部とは全く関係ないところで感染者が出ると安全に関わるのだろうか。

そして、世間の大きな反応が起き、高野連が出場させるということになると、感謝するのはなぜか。

 

辞退を決めた時と今とで安全に関して何ら変わっていないのに、どうして今だと出場することに感謝するのだろうか。

自分たちの判断が間違っていたが、選手たちを慮ってくれて配慮してくれたことに感謝ということか。

 

学校が体裁ばかりを気にしていたというように映る。

それも仕方がないとは言え、こうも世間や流行ばかりに気を使っていては

生徒や選手たちのことを考えているようには映らない。

安全を第一に考えている、と言いながら世間の反応によって感謝に転じるのは日和見にしか見えない。

 

高校野球は学校教育の一環なので世の中の不条理を学んだり、

悔しさをバネにする機会であったりするのだが、このケースは人生の糧にはならない。

今回のケースでは、事態が転じないままだったら学校や高野連を選手たちは恨むはずだ。

いつか仕返ししてやろう、と思い、当事者やフィクサーが誰なのか、裏でどういうことが起こったのかを

知ったら将来恨みを晴らすだろう。

 

高野連としては、設定したガイドラインに基づき、粛々と進めることが得意だ。

高校野球選手権は高野連が設定したルールや仕組みに従って、やりたい学校はどうぞ参加してください。

ご褒美は甲子園での野球、となっている。

そこへ100年以上もその魅力を感じて全国の高校が予算を割き、高校生は人生を賭ける決断をすることになった。

だから、いやなら参加しなければいいじゃない、という論理が成り立つ。

ところが、そんなことでは収まらないほど日本の文化として定着してしまい、

高野連殿様ではいられないほどの文化に成長してしまったのだ。

だから、今回多くの人の声が、動かすことになったのだ。

明日へつづく。

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