木曜日にドラフトが行われ、昨日からは日本シリーズが始まり、
日本プロ野球は1年で最盛の時期だ。
ドラフトは指名される方には迷惑な制度だ。
球団と交渉し、行きたいところにもらいたい金額で入団できるのが一番いいわけだから。
それでも廃止の声はあまり上がってこない。
むしろ今の方が注目が高まっている感があるくらい。
それは、ドラフトがこれまで多くの人間ドラマを生み出してきたから。
ファンが予想してワクワクできるという、それだけでスポンサーがつく巨大イベント、
巨大コンテンツになってしまったから。
そのドラマとはほぼ悲劇のドラマだ。
ドラフトで望み通り行った選手もそもそもドラフトなどなければ、ドキドキしなくとも
その球団に入れるのだから。
つまり、ドラフトのドラマとは悲劇を楽しんでいるということになる。
実力がある選手ほど、行きたいチームに引いてもらえる確率が減り、
その実力をファンに提供できなくなるという側面をドラフトは持つ。
江川や元木や福留や菅野といったところは人生を遠回りさせた。
野球界にとってもファンにとっても本来、不幸なことのはずだ。
会議前の時期になるとあらゆるメディアで指名予想を楽しみ、本番では意外な指名にどよめき、
くじ引きでは当事者でもないのにドキドキしてしまう。
さらに、下位でひっかかった選手のこれまでの経緯に感動したり、苦労に共感したり、と
野球を超越したドラマを楽しむのだ。
問題や矛盾を抱えながらドラフトは毎年続けられ、廃止どころか楽しみとして浸透しまった。
矛盾と問題を抱えていても、プロが億を払ってでも投資したい選手を
高らかに宣言するという場があるということはファンに興味をひかせる。
元々、ドラフトがつくられた主旨とは違っていたはずだが、この作用に球界は御の字だ。
野球を見せる以外にも金になるイベントを発見してしまった。
プロが億を投資します、という宣言は、彼らのこれまでの野球人生の苦悩に対する賛美ととらえれば
ドラフトは1大イベントとなって当然なのだ。