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高野連は教育の一環を主張し、選手は勝負に勝つことだけを考える矛盾

高校野球の酷い判定によりやり切れないまま退場を余儀なくされる選手は数多い。

2022-7-22 毎打席間違え、毎試合起こるひどい判定 高校野球の審判

 

間違える仕組みを一向に変えない高野連の姿勢が大問題だ。

所詮は高校生の部活動だから反論を封殺する。

 

高校野球は技術の向上や野球の進展、さらに厳格な勝負を目的としているわけではない。

教育の一環であり、それは青年に健全な精神と肉体を宿すためにやる授業のうちなのだ。

 

ところがやっている方はそんなことを考えてやらない。

高校生が精神や人生を意識して野球をやりはしない。

野球が好きで野球がうまくなりたく、目の前の勝負に勝つためにやっている。

将来は必ず思い出となり、人生に必ず影響を及ぼすことになるが、

今、高校野球のど真ん中にいる高校生がそんな将来の事まで考えてやるわけがない。

 

そして現状は教育の一環をはるかに超越し、野球ビジネスと化し、プロ養成機関と化し、

感動創造機関とまでになった高校野球は、その肥大化により、

その高校野球界に属するあらゆる組織の常識をも肥大化させた。

 

本来、野球選手の育成を目的としていないはずだったのに巨大になった高校野球文化を

文武両道や高校の部活動という意識だけで仕組みをつくっても歪と矛盾が露見することになったわけだ。

 

その最たるものが審判の酷い判定を改めない仕組みだ。

2年数か月の青春が一瞬の判断で水泡に帰す。

審判だって確信があるわけではない。

振り返れば違ったかも、と思って当然だ。人間だもの。

人間だから間違える。

それも一瞬の判断を100%正確になど、絶対無理なのは万人がわかっている。

 

敗戦に立ち上がれないほど泣き崩れる選手の姿を目にしたら、一つの判定も誤っては

ならない、と思うだろう。

理不尽な勝敗を避けるべく手立てを考えそうなものなのに、変わらない。

高校生は恨みにも近い感情になり、審判は振り返っては後悔の念が起こるかもしれない。

双方にとって不幸な事だ。

 

判定はゆっくり、協議して出して問題ないし、一人で責任を負う必要は全くないし、

違う仕組みを考えるべきだ。

プロが出した答えはリプレー検証によるリクエスト制度というものだった。

高校野球がそれに倣う必要はないが、今の仕組みは不幸ばかりだ。

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