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高校生の青春を台無しにする審判たち、教育の一環を語りながら反省しない高野連

今年も不完全燃焼のまま高校野球から退場を余儀なくされた3年生は数多いことだろう。

不完全燃焼とは、不本意なプレーや不本意な試合運びによるものではなく、

審判の判定に振り回されたからだ。

 

ボール球をいくつもストライクと言うイニングを続け、どう見たらセーフなんだ、

というタイミングをアウトにしない。

高校野球に貢献していると思い込んでいるボランティアの審判が実は高校生にとっては迷惑であり、

青春を弄び、試合をぶっ壊している。

これだけひどい判定ならいない方がましだ。

 

一人の一瞬の判断を正解とし、それが覆ることはない仕組み、異論を一切受け付けない姿勢が大問題なのだ。

副審を置いて5人くらいで判断すればいい。

協議して判定を下していいし、訂正したって一向にかまわない。

 

一人の判断でまったく違う判定が下され、その瞬間は球場内に「えっ!」とか

「おいっ!」となるものの、これらの判定はそこを過ぎれば忘れられてしまう。

だが、ひとつのストライクがひとつのセーフがのちの試合展開を左右するのだ。

省みてあのシーンの判定はどうだっただろう、という風潮を醸成しないと高野連を甘やかす。

そしてまた来年も高校生の青春を壊す連中がのさばる。

実力均衡、僅差の試合はどっちが本当の勝者かわからない。

高校生の野球の実力や試合の巧拙で勝敗が決まらず、審判が勝敗を決めている。

審判をやろう、などと思う人がいなくなれば他の方法が生まれる。

 

高校野球は教育の一環などと大口をたたいている連中が、間違いを認めず、反省せず、

進歩を見せない。

その態度でよくぞ教育を語るものだ。

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