高校野球放送を観ていて、無死でランナーが出塁、するとピッチャー交代、
この時に歯を磨きに行って帰ってきたらもう、チェンジになっていた。
それが地方大会の決勝という最高峰レベルでの現象だった。
高校野球の淡泊を如実にする現象だ。
高校野球のピッチャーのほとんどがキャッチャーからボールを受け取ると、すぐに
軸足をプレートにかける。
ランナーを背負ってここで点が入ったら試合が決してしまうという場面でもテンポは変わらず、
ただ淡々と投げ込む。
そうして打者が待っている真っ直ぐが、おあつらえ向きに甘いところに来て痛打となる。
もう少し考えて、あそこにだけは投げたらダメとか、このボールは危険と考えれば
もうちょっと間が出来るはずだ。
こんな間で野球を続けていても深みに達しない。
ということはうまくならないということで、本質には程遠いところで野球という競技
をもてあそんでいる、ということになる。
野球はレベルが高くなればなるほど間合いに神経を使う。
一球一球を慎重に考え、1打席1打席に読みを効かせ、1球1球のプレーや作戦の選択を考えると
間合いを大事にするため、長くなってしまうのだ。
その一球一球の間も勝負の内なのだ。
何もしていない間が勝負を分けるとさえ言える。
その瞬間の仕草やベンチの様子にも視線を向けると戦況が見えてくることもある。
試合時間中、実際にボールを追いかけていたり、ボールに集中していたりする時間より
圧倒的に間の方が多いことが野球の特徴だ。
その間において、相手はどんな考えをしているのだろう、この状況での作戦、戦略はなんだろう、
と考え、そしてよく観察することや先を読むことで深くなっていく。
だから、ベンチに入らなかった選手がスタンドで歌ったり、踊ったりしていることも
野球技術の向上を妨げている。
スタンドでは声を出して応援しているつもりになっているより戦況を見つめ、考えることの方が
はるかにチーム力を上げる。
ここ2年程、客席での応援に制限があったことを経て、以前のように音混じりの応援に
なってきたことに、テレビのコメントでは「あの風景が戻ってきましたね」「やはりこれが高校野球の姿ですね」
など、トンチンカンを言う。
楽器を鳴らして、歌って、踊ることのどこが野球の姿なのか。