ケガには理由がある。
ケガさえなければもっとすごかった、といった言い方をされるが、ケガする体をもった実力だし、
ケガをする能力が実力だ。
そしてケガする本人もそのプレーのために、その試合のためにケガを覚悟したかもしれない。
または、ケガをしてもやらなければ理想のプレーができないから、無茶を承知で鍛え上げ、
それでケガしてダメなら仕方ない、と選択したかもしれない。
五体満足でプレーをしているプロ野球選手は少ない。
どこかに不安箇所があり、ケアしている部分があるものだ。
そしてプロ野球選手は人より身体がでかく、人より身体能力が高いからその場にいられる。
この条件は運動を続けていれば、パンクする可能性が高いし、張りつめた身体へと
鍛え、つくっていかないと高いレベルに対応できない。
だから、たいがいどこかでパンクすることになる。
だからケガにより、実力が発揮できないということはない。それが実力だ。
そしてケガもしない方法はある。
とはいえ、長くやって、無事故とはいかない。
それでも自己の身体を研究し、管理し、鍛錬することで回避につなげられる。
ケガはしてみないと、気づかないものだ。
健康は病気になってみないとそのありがたみに気づかない。
ケガをしていない状態、健康である状態から人生が始まっているから、そうでない状態が
異常と捉えてしまうが、管理しなければ必ず衰えていく。
早いうちからそこに気づき、管理すればそれを後ろに倒していくことができる。
ケガを仕方ないで済まして観る見方も変えれば、選手の思考も変わるだろう。
やる人間は限られ、その期間は限られるが、観る方は長くたずさわることができるし、
その観方による知見は蓄積できる。