準決勝の逆転劇、決勝のできすぎたストーリーにより感動を口にする人が多かったWBC。
成田に詰めかけた人たちはどうしても彼らにありがとう、と言いたかった人が多い。
彼らの活躍に心を動かされ、自分の人生への教訓、糧とした。
これこそがスポーツの存在意義だ。
もともとはただの遊びが昇華し、人生を賭けるプロが生まれ、そして人の人生へ影響させる。
人は感動するために生きている。
ただの球遊びに何百億という金が飛び交う。
二日酔いでも結果が出てしまう球遊び。
こんなものに人生訓があるとは。
今回の選手たちは国際戦を見て、感動し、野球を続けてきた世代だ。
そしてその選手たちが届けた感動と最高の結果となった優勝により、確実にこのバトンは継続されることになった。
野球選手にはインタビューその他で、通り一辺倒の返答やおもしろくもないギャグをやって
笑わせようとするのではなく、その瞬間どうしてそのプレーを選択したのか、
その場面で戦況からしてどんな心理戦があったのか、読みは?ひらめきは?技術は?
こういったことをプロならではの目線で伝えてほしい。
帰国後の会見でのコーチ陣のエピソードはとても興味深い話だった。
そこには野球の技術や戦術はもちろんのこと人間模様も反映している。
縁の下の力持ちや出場していないところでの準備や自分の役割を全うすることにより
チーム力を最大化する。
これはまさしく社会の縮図だ。
スポーツはそれが勝ち負けではっきり現れるから、まさに人生訓となる。
勝ち負けだけが全てじゃないが、勝つことより優先されることはない。
そうして出た結果を受け止める。
スポーツなんてなくても生きられる。
しかし、人は感動するために生きている。
感動するなら命さへ削るのが人間だ。