高校野球では高野連から審判団に試合時間短縮が徹底されている。
球場確保やスケジュール消化のためなのだろうが、そこは今に見る極端な試合時間短縮でなく、他の方法がある。
試合時間を極端に短くすることで詰め込もうとすることは野球技術発展、野球戦略発展を阻害する。
つまり、野球に青春を燃やす選手の人生をつぶそうとしている。
高校生には潔い、ハツラツとして、さわやかに、淡々と試合をこなすことを強いといて、
いざ、国際大会やプロの段階やになると、途端に勝つことに熱狂する。
民族性からしてそうなることは当然なのだが、高校野球に求めていたものを
いきなり方向転換されても成功を手にすることはできない。
高校野球は教育の一環が第一のため野球技術の発展は目的にない。
プロは野球技術を発展させて観る人を感動させることが第一にある。
ところが、プロになる人のほとんどが高校野球を通過する。
プロになる人のほとんどが成長期に野球技術発展を目的としていない環境で野球をやっているのだ。
完全な矛盾が発生してしまうのだ。
相手への観察や次のプレーへのイメージ、試合運びへと思考が向くことは
教育の範疇にあるといえるはずだ。
野球の時間が長くなるのは間があるスポーツだからだ。
インプレーの時間の方が短いという特徴がある。
これにより、選手は時間が長くなっても疲れないから、どんどん試合時間は長くなっていくのだ。
というよりほとんどのスポーツがインプレーの時間の方が短いだろう。
2時間余り、ずっとインプレーというのはマラソンくらいか。
サッカーが3時間の試合時間を設定されていたら、選手はペース配分を考えるか、
チームは多くの代えの選手を必要とすることになる。
ペース配分をするということはパフォーマンスを抑えるということだから
意味のない時間が出来るということになる。
それならば、時間を短くすればよくなり、短い時間で人の興味を引くことができる娯楽として
完成させることで生産性を上げている。
プロの試合時間を短くするなら、バッターボックスに入る時の登場のテーマをなくしたり、
余計な演出をなくし、意味のない始球式や応援チェアをなくすことから始めればいいと思われる。
イニング間の投球練習は工夫できそうだし、ピッチャー交代も見直せそうだ。
技術や戦術が高く、複雑になり、間を必要になった。
間を使うことが技術を高め、戦略の質を高めたのだ。
そもそも野球はそういうスポーツだということ。
これを短くすることばかり考えては、高校野球のような全く深みのない試合が
いくつもできあがってしまう。