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敗れ去るものの歩む道

いつの頃からか各地の代表決定トーナメントを地方予選とか甲子園予選とか言わないようにしているらしく

テレビや新聞といったマスコミは予選を使わず、地方大会という言い方を薦めていることについて記した2018年8月1日の内容。

2018-8-1 敗れ去った球児たちも人生にとって大きな意味がある

 

理由は、いわずもがな地方大会は予選じゃないということだろう。

甲子園での大会は全国代表が集まる大会であり、その前の各地の大会はその代表を決める大会であると同時に、

それだけが目的でなく、全高校球児に用意された一大大会という意味を込めたいということ。地方大会だって、甲子園大会同様、これまで一生懸命やってきた全ての高校球児が輝ける舞台であり、

そこには、甲子園出場のための予選という位置づけでないドラマを含んでいる意味合いか。

 

確かに、地方大会こそ高校野球だ。

甲子園に出られる選手たちはいわばご褒美。

予選と言ってしまうと、甲子園大会こそ本大会であり、そこに出ることに意味がある、と捉えられる。

 

ただ、そうやって気をつけるのなら、現在の誤審だらけの仕組みや試合進行を優先する態度、過密日程などの

改善を図ることの方が、よっぽど選手の試合に賭ける気持ちを大事にすることになる。

こちらの方が重大なのに、教育の一環と言い続け、突っぱねてきた態度とたかが言い方に

気をつける態度は矛盾することになる。

 

地方大会を予選と位置づけ、その予選に敗れ去った敗北者として胸に刻み、

その先の人生の糧とすることだって大きな意味がある。

野球を志した者にとって甲子園に出ていないということは大きな劣等感になる。

この感覚を味わい、身に着けることは人生における重要な情緒につながる。

後悔や挫折だって人生の教訓だ。

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