間違うことに決まっていることをわかっていながら仕組みを変えない高校野球について木曜連載とした2回目。
間違うとは判定についてだ。
2023-8-17 糾弾、解体、呆れ、それでも存続し続ける高校スポーツ界の勝負
間違うことは仕方がないし、間違えるに決まっているし、それでも変えない思考が
何と言っても大問題だ。罪と言っていい。
そして一瞬の判断への異議を認めず、覆すことを拒否する仕組み。
間違えたと思われれば、判断を覆すことは恥ずかしいことでない。
判定は事実を写さない。
あくまでも判定なのだ。審判の判断だ。
一人の審判の一瞬の判断にすべてを任せるこの仕組み。
審判は100%正確で当たり前だ。
ひとつでもミスしたら大惨事となる。
試合はひとつのストライク、ボール、アウト、セーフで戦略が変わり、それは展開を変え、
最後は勝敗にあらわれる。
100%正確で当たり前で褒められない、99%の正確でも褒められず、その1%がとても目立つ
場面でのものだったら、ダメ審判の烙印が押される。
それも明らかな判定ミスだからダメ審判なのではなく、どちらかを一瞬で判断するには
難しいプレーであっても得点に絡むような場面であれば、大ミスとして捉えられる。
こんな難しいことはないわけだ。
それを100%正確になど不可能に決まっている。
それはつまり間違いが起こるわけで、それは勝敗が逆になる試合が生まれることを意味する。
それでも100年以上、わかりきっているのに続けている。
一般社会だったらアホの極みだ。
会社員がこんなことを続けて変わらないようならクビになり、政治家だったら弾劾され、
組織だったら見離される。
高校野球は休養日を増やし、グラウンド整備や給水に気を使い、スパイクの白を許すなど変化をしているが、
選手が最も望む、一番肝心なところはほったらかしなのだ。