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過去の自分をほめてやりたい

いわゆる過激な発言には、自身のプライドを守らなければならないから

発言当初は自説の主張を重ねるものだ。

 

それを失言として取り上げられ、鎮火しないと今度は撤回に走る。

結局はどちらにしても保身のためだ。

 

それから公人というのは都合の悪いことにはあいまいな表現で、政敵の弱点には執拗につっつく。

議論や主張、本質、見方といったものの透徹はどこにあるのかと訝ってしまう。

 

国家機関という団体や顔の見えない人は保身の必要がないから、そのまま突き通す。

 

一般社会でも流行りの論破は主張していた人の綻びが露呈すると勝者の栄光を勝ち取ることとされ、

一度相手を認めたり、感情的になったりすると敗者としてイメージがつきまとう。

 

議論には正しいも誤りもなく理不尽があるだけだが、

審判の判定には正しいか誤りかしかない。

リクエスト制度を後退と捉える声はまず聞かない。

 

協議して振り返ってみて、改めて判定することは恥ずかしいことと思っているのか。

存在意義を問われるから保身のためにも必要だと思っているのか。

 

過去は主張を曲げないことが威厳だとされていた。

でもリクエスト導入はあっという間だった。

 

一瞬の一人の判断が必ず正しくなるわけがない。

複数の目で判断すれば何も問題ないのに、わざわざ問題になるような仕組みを改善しない。

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