最近の東大は身体が大きくなり、他の5チームに比べ体格での見劣りが小さくなってきた。
情報を多く取り入れ、どうすれば勝てるか、をチームで考えているということだろう。
なにしろ分析や考えることに関しては日本一なのだから当然だ。
野球は間が多くあり、分析や作戦が実際に機能する確率が高い競技であり、
故にそれが勝つためには必須となり、試合中にも考えを巡らすことになる。
しかし、六大学はリーグ戦であり六チームしかないので、
相手の力量、動き、質を肌で感じる。
そして分析を他の五チームもやっているので、対戦数が増えるほど東大は通用しなくなる。
3連戦勝ち越しや2引き分けしようものなら
観戦に来ていたファンは
「よく頑張っているよ」「お疲れ様」と声をかける。
東大に入学し、身体を大きくし、野球に勝つことを考え続け、そして何より将来の目標のために
学問に勤しむ。
東大野球部はがんばっている。
だが、それは東大生だから向けられることばだ。
それは日本に一握りしか存在しない東大入学を果たした頭脳明晰な君たちには
それだけで敬意を表するということだから。
野球推薦だったらこうはならない。
いくら野球をがんばっていても「頑張っているよ」という掛け声にはならない。
当然だからだ。
逆を言えば、野球ということだけに関して言えば「頑張っているよ」ということばは
敗者への慰めであり、敗けて当然と見ていることを前提にしていることであり、
善戦しさえすればいい、という投げかけだ。
頑張っているけど舞台が相応しくない。
東大に入学するのは大変だが、神宮の舞台に立つのは易しくなる。
他の5大学は野球部に入るのに障壁があり、その中で神宮のベンチ入りすることが難しい。
普通、同一リーグというのは実力が均衡になるようにし、
劣化したチームは入れ替えなど下部リーグへ降格、あるいは除籍という
憂き目にあうものだが、東大は実力差が歴然でありながら
日本の大学トップリーグに所属している。
他の5大学チームは東大と試合をするのが面倒くさい。
そんな時間はもっと強いチームやもっと手強いピッチャーに対したい。
東大の野球部員になる、あるいは野球に情熱を燃やす動機は
高校時代にできなかった名門出身のエリートとできるからだ。
しかも、神宮という舞台でできるから。
以前に40歳にもなろうとする医者が東大に入り、神宮で投げるということをした。
東大ならこれが可能だからだ。
しかし、その内容はひどいものだった。
そして、また医者の道へと帰って行ったようだ。
学生野球にこのような動機でプレーすることは遠慮すべきだった。
それは夢として置いておいて、遠慮すべきだった。
せめてプレーではなく他のことでチームに貢献する道に控えるべきだった。
東大が神宮の舞台で他のエリートとたくさん試合ができるのは東大への敬意による。
もともと野球は頭脳明晰で日本の将来を背負って立つエリートの遊びだったからだ。
野球を日本に根付かせる原動力は、東大の学生だったから。
野球を日本の文化とした功績を無下にすることはできない。
だからそのことへの敬意と伝統により、システムを変えない。
東大は国立であり、日本の頭脳として日本の社会を支え、世界に貢献する人材を
育む場所であるため、野球を強くするためだけの人材を集めることはしない。
他の5大学は私立なので野球を強くするためだけに人材を集め育成することができる。
結果、野球だけで見れば東大は最弱のチームでシステムに救われる。
何度負けてもトップリーグからの離脱という憂き目を見ない仕組みに寄りかかっている。


