甲子園大会の勝者は審判の気分で決めている。
高校生の2年数か月の情熱は、審判でもやろうかな、などという思惑の片手間で左右される。
教育への貢献、野球への恩返しなどと口にして審判へと身を投じるが、
結果は、情熱を愚かな力量で歪める作用しか果たしていない。
ルールで決められている通りにしていないのだから気分だ。
こっちかな?あっちかな、こっちだな、って。
勝負の展開は一球で変わる。
ストライクかボールかで思考が変わり、それが次へ次へとつながり、
戦略が都度選択され、ゆくゆく勝敗が決する。
その一球に対する反対の判定が一試合に何球もある。
一生懸命獲得した技術を、それについていけない審判があっけなく台無しにする。
本当にいない方がマシだ。
バッテリーと打者でストライクかボールか判断した方がよっぽど高度な野球になる。


