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全く違う動作をするピッチャーとバッターでは対戦という表現は 本来、あてはまらない

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5体を使いキャッチャー目がけてボールを投げ込むピッチャー。

5体を使って、ピッチャーが投げ込むボールにバットという道具をアジャストするバッター。

やることが全く違うピッチャーとバッターは対戦しているとは言えない。

昨日からのつづきとなる。

 

そして、18.44メートルである現在の投手からホームベース間を1メートル伸ばせば

あるいは1メートル狭めれば、その対戦率の評価も変わり、

野球の作戦そのものも変わるだろうと記した。

 

守っている野手の人数を変えたらどうなるだろう。

 

よく、「いい当たりをしたのに正面をついた」とか

「打ち取ったのに飛んだところがよかった」なんて言う。

 

野手を増やせば、打率は落ちるだろうし、減らせば当然、打率はあがる。

 

ボールのかたさや大きさはどうだろう。

 

統一球が話題になった頃は、明らかにホームランの数に影響が出た。

これではっきりしたことだが、当然かたさや大きさを変えれば、

投手と打者の有利、不利は変わるのだ。

 

バットが割り箸だったら、あるいは金属バットだったらどうだ。

 

一昔前の社会人野球は金属バットだった。

成熟した大人の野球で金属バットを使えば、つまってもホームラン、

振り遅れてもホームランなんてことはしょっちゅうで

10点ゲームの試合はザラ、野球自体が異質なものだった。

 

これによりパワーで振り回し、プロがなく、海外でのプレー禁止政策をとっていたキューバが、

連勝を重ねていた。

つまりバットの性質が野球の質を変えるということだ。

 

このように

ルールが複雑で、道具に対する規制という恣意にて競技自体の性質が変わってしまう野球は

ピッチャーとバッターでの優劣は計ることはできないということだ。

 

ピッチャー同士、バッター同士の優劣は計れても

全く違う動作をするピッチャーとバッターでは対戦という表現は

本来、あてはまらない。

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