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甲子園あとがき 野球なんてなくても死にはしない 

同じ高校生として同じ目標に同じ時間を共有した者同士が別れを告げられる寂しさ。

自分より実力が劣る選手であっても一緒に濃い時間を過ごした仲間との別れはとても寂しい。

金足農は、全員が秋田出身の選手で、中学もチームメイトだった者が多い。

そして、吉田が金足農に行くということで、多くのメンバーがそれに続いたという。

 

野球どうのこうのより、濃い時間をすごした人間のつながりを知ることになり、

人生の肥やしとして次のステップへの意欲につながっていく。

人間のつながりが、野球という遊びを凌駕して胸にしみるから、

この夏の終わりを迎えた瞬間、涙に暮れることになる。

 

夏の終わりを告げるまさにこの時期に、高校野球は終わりを迎え、秋を意識せずにはいられない。

大人に近づく、または人間を成長させるには、情緒をとても刺激するその季節は、タイミングがいい。

 

人間としての成長に野球というツールを利用しているのだ。

そしてその人間としての成長が野球の技術向上にも生きてくる。

今まで一所懸命やってきたのに、いきなり終わりを告げられるその人生最上級の虚脱感、脱力感は、

その選手のこれからの糧になる。

 

たった2年数か月の出来事なのに、

この高校野球という共通の話題を同じ時間を過ごした人と話すと、

違う世代の人であっても、話題は尽きることなく一生語り合える。

それだけ、濃い時間であり、人生に必ず影響を与える。財産となる。

 

高校野球は、

高校生活という限られた二度と戻らない時間の中で行われること。

味方も相手も同世代の人間で行われること。

考えも体も未熟だが、多くの時間をそこへつぎこむこと。

大人の感覚も持ち合わせてきて、とても感受性が高く、吸収力のある時期に入魂すること。

このような境遇は人生の中でこの時しかない。故に特別な連帯感が生まれる。

 

中川は春夏連覇をして、敗けた選手以上の大号泣を見せた。

昨年、自らのミスで先輩の夏を終わらせてしまった悔しさが、1年間の原動力となった。

そしてキャプテンとして個性あふれるタレント軍団を引っ張っるプレッシャー。

やりきって目標を成就した中川の涙には、こちらの心も揺さぶられ、教えられることも多い。

有限の高校野球でキャプテンとしてチームを引っ張る経験は

野球の技術の向上同様、有益な時間。

人間の器を大きくし、考えること、感情を豊かにすることは技術の向上にも生きてくる。

 

高校生のただの部活動のはずの高校野球という枠組みが、

部活動などというレベルを超越した文化として、予期せず、大きなうねりとなった。

野球を志した先輩の所業を継いできた100年間の選手たちのおかげで、大きな文化に発展した。

 

今、プロで活躍する選手の中にも高校野球のたった1試合のために

つぶれてもいいと賭ける選手が多くいた。

冷静、沈着な振る舞いが印象的な大谷すら甲子園で負けたときは号泣だった。

大谷が背中を追って選んだ花巻東の激情家の先輩・菊池はいわずもがな、

ここで野球人生が終わってもいいという感情さえ湧き起こってしまった。

前田は、大阪大会で温存敗退してしまい、立ち上がれないほど泣き崩れた。

ヤンチャなイメージがある森も。クールなイメージがあるダルビッシュも。

王はプロ野球はもういいが、高校野球は、もう一度やってみたい。と言った。

日本を代表する野球選手たちが、二度と来ないこの瞬間に涙してきた。

 

この時の涙というのは、まずなにより目の前の勝負に敗れた悔しさだ。

それからそれぞれにたてた目標に届かなかった悔しさがつのる。

そして、同じ高校生として同じ目標に同じ時間を共有した者同士が別れを告げられる寂しさ。

 

選手は、チーム内でお互いをたたえること、泣き崩れる仲間を支えることで

自分の高校野球への気持ちを発散したい。

気持ちを発散し、同時に気持ちの整理をつけ、存分にこの雰囲気を味わい、

甲子園の大舞台の最高の空気を満喫し、自分の青春に咆哮をあげたい。爆発だ。

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