野球はまずピッチャーが投げるところから始まる。
ランナーがいる場合は、インプレー状態になると、ランナーをケアするので打者に投じるとは限らないが、
ピッチャーがそのスタートを切るものだ。
この時、周囲の目はピッチャーに向かっていたり、打者に向かっていたり、野手の動きを注視したり、
ランナーがどう動くかを見ていたりする。
だが、ピッチャーが打者へ投じて快音とともに高い放物線を描く打球が放たれると、
ほとんどの視線はその打球を追う。
球場内の野手を含めたベンチ、客席の人達もほとんどが打球の行方を見る。
打球に飛距離が出るほど、快心の放物線であるほど、打球に視線が移るものだ。
ほぼ全員が打球の行方を見ている。敵も味方も。
この時、飛距離が出るほど、快心の放物線であるほど、見ない人がいる。
それが打者だ。
多くの場合が、自分の打った打球はどこへ飛ぶのか、どれだけ飛ぶのか、抜けるのか、
捕られそうなのか、自分はセーフになることができるのか、と打球を追うものだが、
飛距離が出て、快心の放物線は見ずともホームランが約束されるので見なくなる。
こんな時、その打者はベンチを指さしてアピールしたり、バットを放り投げ、雄叫びを上げたりするものだ。
打者は打った後は走者になるので、一生懸命走るために打球を見ずに走ることに集中することを
少年野球では教えられる。
だが、どうしても打者は打球の行方が気になるものだ。
自分の仕事が打球となってどういう成果になっているか、確認したい。
どん詰まりの内野ゴロなどは、不本意な成果なので打った直後、落ち込む気持ちを即座に切り替えて、
一生懸命走ることに集中する。
芯を食った打球は野手の間を抜けるまで、どこに落ちるかを確認するまで目で追いながら走るものだ。
明日へ。
https://twitter.com/yakyucolumn