暴投したことにより、進塁を許した場合、投じた選手だけのせいとは限らない。
投げる方には難しい体勢やギリギリのタイミングでアウトにするためにリスクのある思い切ったプレーを
選択しなければいけない場面があるからだ。
誰のせいかというと、カバーを怠った選手のせいということがある。
投げる方は成功するかわからないプレーを余儀なくされているものの、カバーに
走るというのは誰にでもできる。
カバーに走ったのに及ばないほどの暴投だったら仕方がないが、多くがしっかり
カバーに走れば、ランナーの進塁を許すことはない。
怠惰は記録にならなく、記録となるのはボールの行方を決定させた選手になる。
しかし、大罪は走ることを怠った選手の責任。
プレーのミスはどんなにうまい選手でも起きるが、怠惰はなくすことができる。
一か八かのプレーをする選手をフォローすることがチーム競技となる。
起きうる可能性があるプレーや味方の力量からのプレーを予見して
その動きに合わせられることがチーム競技だ。
それらを感じられる選手が周りにいることは傷口を広げないだけでなく、高度なプレーを生む。
走るという誰でもできることを怠った選手がピンチを広げたエラーの主犯であり、
感性の無さ、つまり野球センスのなさということになる。
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