ゲームをしていくうちに戦略として生まれた敬遠。
もともとは、野球は打者の打ちやすい球を投げ、両チーム打ち合い、得点を競うゲームと聞く。
そのうちに、ピッチャーの力量という要素が加わり、ゲームの方向が変わった。
そうして生まれたのが打者と勝負しない、避けるという敬遠だ。
たとえばホームランというのは外野に制限を持たせないとグラウンドを広く用意しなきゃいけなく、
土地の制限があろうからフェンスで区切り、それ以上の打球はその時点でホームラン、
つまり得点とする、というルールにした。
どっちみちそんなに遠くに飛んだ打球を追いかけて行って、拾ってバックホームしたって間に合わないから、
もうその時点で得点としよう、また、区切りを持たせなければ、外野は大きな打球に備えて1
00メートルも150メートルも後ろに守るようになる。
すると外野がガラガラに空き、ヒットゾーンが広くなる。それに備えて内野手が下がれば、内野ゴロアウトが生まれない。
じゃあ守備の人数を増やしてやるか、とか考えた結果、外野に区切りを持たせよう、
ということになったのではないか。
そしてそこまで飛ばすのは打者の圧倒的勝利であり、
それはスポーツ、競技としての美しさだから最大の褒美を与えようとした。
それがホームランという賛美であり、その時点で得点という褒美だ。
これにより外野フェンスの外に観客が入ることができるという利点も生まれた。
さらに、ホームランのために設けたフェンスの外へ今度は、フィールド内でワンバウンドした打球が
弾んで入ってしまうという現象も生まれた。
フェンスの向こうには追いかけていけないからこれはツーベースヒットにしよう、
ということでエンタイトルツーベースが誕生した。
このように、自然な流れでルールが整備されていったと思われる。
敬遠もどうせ一塁が空いていて、強打者なら歩かせた方が得策だという守備側の知恵だ。
ゲームを重ねていくうちに生まれた作戦、戦略としての現象だ。
では、申告敬遠は。
野球はもともとストライクを投げて打つというゲームだった。
ピッチャーは基本、ストライクを投げなさいというルールであり、
ストライクと規定される範囲を外れる球は悪い球とされ、それはボールという判定を下し、
悪い球はゲーム性を損なうので、それにはペナルティが与えられた。
ボールという判定はペナルティであり、それが4つ積み重ねればテイクワンベースというルールだ。
あくまで敬遠は戦術であり、競技の作戦のひとつだから、これをルールに組み入れることは本来、必要なかろう。
たとえばコリジョンルールは、もともとルールの中でキャッチャーへの体当たりが許されていたものの、
それは危険だから、やめよう、ということでやめた。
これは戦術が身体に危険を及ぼす行為だから規制を入れたのだ。
昨日、記したホームランは、広さを確保できない、遠くまで追いかけて行ってもどうせ間に合わない、
ということでフェンスを設け、合理的にその先へ打球が飛べば得点とした。
すると、バウンドしてフェンスを越えてしまう打球も生まれ、これはエンタイトルツーベースとしよう、
となった。
リクエスト制度は、一瞬の判定を1人の判断に委ねるという無謀に、ついに一歩改善が
はかられた制度だ。
判定は正確だけが是であるので、それに近づく方向へルール改正が施されることが当然だ。
テクノロジーの進化により、そちらの方が正確だと全ての人が納得いく方法だから、採用した。
野球のルールをつくり実際ゲームをすると、これらの現象が起きることわかり、規制を設けるにいたったわけだ。
ところが、申告敬遠はコリジョンのような身体危惧ではないし、ホームランやエンタイトルツーベースのように
決めなきゃいけないことじゃないし、リクエスト制度のように納得、改善への方向でもない。
合理がないということだ。