2018年甲子園、済美と星稜の一戦ではタイブレークの末、飛び出したサヨナラホームランが
史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打と表現されていた。
サヨナラホームランであることはいいだろう。
ホームランが出た時点で、勝負が決したから、野球ではこれをサヨナラのゲームと表現するから。
逆転ホームランもまあ、いいだろう。
2点差のビハインドをホームランで逆に2点差として、勝負を決めたから。
逆転サヨナラ満塁ホームランと言われると、ん?となる。
現象としては逆転だし、サヨナラだし、満塁からのホームランではあるが、
この満塁はタイブレークでのものなので2人のランナーがはじめから与えられている。
これを逆転サヨナラ満塁ホームランと言ってしまうと、たとえば作戦を駆使して
3人のランナーを溜めたチームによる野球の展開と同じ評価になってしまう。
そして史上初については言い過ぎだ。
史上初ということはこれまでの長い高校野球の歴史の中で、という意味になってしまう。
これまではタイブレークなどなかったから、この難しく珍しい現象である逆転サヨナラ満塁ホームランがなかったのだ。
これをそう表現してしまうと、これから9回もしくは通常の延長で飛び出した
逆転満塁サヨナラホームランが2番目に甘んじてしまう。
正真正銘なのに、1番の栄に浴さないことになる。
タイブレークはいろいろの理由からさっさと決着させるために設けられた制度だ。
それは、すなわち点が入りやすくなる、点を入れるための制度のわけ。
この逆転サヨナラ満塁ホームランが、それまで100年を超える甲子園の歴史で出なかったのに
タイブレーク導入から数年で飛び出すのなら、これからも出る確率は高いことになる。
本来、とても珍しく高価なプレーである逆転サヨナラ満塁ホームランを確率の高くなった
タイブレークでのものに史上初の誉れを与えてしまっては言い過ぎであり、
誇張して注意を引こうとするマスコミの狡猾だ。
そしてこの言い方に似たもので江夏の21球がある。
今も語り継がれるノンフィクションの傑作とされるものだ。
不世出の大投手・江夏だからこそ傑作になり、江夏だから、あの大ピンチを切り抜け、
広島に初の日本一をもたらせたという印象を植え付けた作品だ。
だから、その内容を知らなくとも、「江夏の21球」と言えば、江夏という大投手が
日本シリーズで絶体絶命のピンチを一人で切り抜けたという印象を持つもの。
江夏はそれまでにもオールスター9連続奪三振。
奪三振の日本記録、しかもそれを王から奪うと有言実行させた。
ノーヒットノーランをして延長で自らサヨナラホームラン。
これらの豪傑を見せてきたので、江夏=伝説となり、一流作家の手にかかると、
この21球も伝説へと化けてしまう。
ただ、これも文章の秀逸により大げさなドラマに祭り上げられたものだ。
賞に輝き、日本シリーズの感激とノンフィクションの良さ、タイミングがあって、
世間に浸透したためにメディアで取り上げられることが多くなった。
そしてこの物語は究極の場面における、勝負の駆け引きを人間感情とともに描いたというものだったはずが、
題が「江夏の・・」となっているので、江夏の伝説となってしまった。
マスコミによる誇張に通ずる理由は、この21球は江夏の快投乱麻ではないからだ。
この物語を語り継がせたのは、無死満塁から江夏がスクイズを失敗させたことを含め、
一人で切り抜けた英雄かのように伝わってしまったためなのだが、満塁にしたのも江夏がやったとも言えるのだ。
無死満塁から江夏が登板して、この結果ならそれでいいのだが、3人のランナーは
先頭のヒット、2人目フォアボール、3人目敬遠というもの。
盗塁の送球が外野へ抜けたことにより、先頭で出したランナーが三塁まで行ったため、
フォアボールや敬遠が生まれたという見方は出来るが、江夏がこのピンチを招くに大きく影響しており、
江夏は全然、英雄ではないことになる。
これがマスコミの誇張による狡猾だ。