毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

夢は夢のままだった

少し前の話だが、

松井がOBらによる野球殿堂の記念試合でホームランを打った。

 

真っ直ぐのタイミングで打ちに行き、

変化球だったので、一瞬タメを作って豪快に振り抜いた。

 

さすが日本一の飛ばし屋だ。

 

引退してトレーニングが減った影響で少し太った感があるが、

一流の投手でなければ余裕でオーバーフェンスしてくる。

 

松井は1974年生まれ。私と同い年。

 

同い年の星・松井には晩年、大リーガーとして冷や飯を食った際、

そのまま引退を選択せず、日本復帰を希望したものだ。

 

あの時点で、

MLBで、あのバッティングでは通用しない。

 

ヤンキースを追われる頃から、ヤンキース以外で過ごした数年は、

あきらかにかつての松井とは程遠いバッティング内容であり、

エンジェルス時代にもう日本に帰るべきと思っていた。

 

ただ、あの頃のバッティングフォームを続けていたら

日本でも

ゴジラと呼ばれるバッティングはできないものだったはずではある。

 

そのバッティングフォームの狂いは、晩年だけでなく、渡米後すぐに現れていた。

 

渡米1年目終了時、

日本の頃の打ち方に戻すべきだと切望したものだ。

 

動くボールとストライクゾーンの違いに対応するために

まったくおかしな打ち方になってしまったのだ。

 

ヤンキースで主力をはるようになりはしたが、松井の実力はあんなものじゃない

とずっと思っていたのだが、結局、海外のピッチャーに合わせたおかしな打ち方は、

変わることなく、さびしい現状になってしまった。

 

もう一度2000年から50本塁打を記録した2002年の頃のように戻して

一塁手かDH

あるいは代打専門として日本でプレーしてもらいたかった。

 

ただ、体調、年齢、ブランクで

あの頃のバッティングはもうできなかったかもしれないが、

それでもゴジラたるバッティングはあの頃の打ち方を進化させたもののはず。

 

それでだめならしょうがないじゃない。

 

そしてWBCにも出場して、日本代表に松井とイチローが名を連ねてほしいと

同世代の私の最後で最大の願いは届かず、はかない夢と化した。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP