この記事。
ちがう。
勝手に感情のスポーツなどと定義している。
そして
審判の判定かビデオ判定しかないことを前提に自前の理論を展開している。
私は、「ものいい」の制度がいいと言ってきた。
もっといいものもあるかもしれない。
はっきりしているのは、今の制度では審判にも負担であり、誤審はなくならず、
本当はゲームに勝ったはずのチームがその実力以外の所で負けと判定される可能性があるということ。
判定は無味乾燥で感情の入る余地のないものが是である。
高校野球のように負ければ終わりの中、2年4か月に及び、費やした時間が水泡に帰し、
ぶつけようのない憤りを生むことを感情のスポーツだからの一言で片づけるのは酷だ。
これにより人生には必ず影響を与える。
これまでは、
それも人生と感情を納得させられてきた。