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日本のお家芸。審判制度を考えるⅣ

審判制度の仕組みを考えている。

 

サッカーにおけるこんな記事。

制度の欠陥が招くミスジャッジ、ゴール判定に機械を

 

「シュートがゴールラインを越えたかどうかのトラブルは、

審判団のミスというより、制度上の欠陥から起きることの方が多いと思っている。」

とこの記事。

 

野球も同様であり、生身の人間一人に一瞬の判断を託し、

その決断に責任をもたせる現行の審判制度は仕組みに問題あり。

とこの場で何度も言ってきた。

 

「菊池のスーパーシュートがもたらしたケースがまさにそうで

”人間には無理”なことまで審判に押しつけるから起きてしまう。」

とこの記事。

 

そういうことだ。

 

「それを人為的なミスというのなら、

問題を広くとらえて、試合を運営、管理する側の問題と考えた方がいいようにも思う。」

とある。

 

よくわかっているじゃないか。

 

「制度上の欠陥を知りながら放置し続ける者たちの責任。」

 

そのとおりだ。

まったくもってこの場で言ってきたことを代弁しているかのようだ。

 

とここまでは、すごくいいことを言っており、そのとおりなのだが、

結論を間違ってしまっている。

 

「機械導入がすぐにむりなら4人目、5人目の副審をおけば、

今より良くなる。それでも誤審は紛れ込んでしまう。

何もしないよりは全然良い。」

と結論づけてしまっているこの記事。

 

違う。

 

副審を4人も5人もおいての判定に誤審はない。

それを誤審と言うなら、言っている側の勝手な主観だ。

 

4人目、5人目のプロの目で判定を下したのなら、それでいいのだ。

それが、判定だ。

 

相撲の

ものいいのような仕組みであり、この場で推奨してきたこと

そのものだ。

 

しかし、この記事はあくまで機械での判定を是として

それができない間は4,5人のプロの目での判定の方がまだましと

言ってしまっている。

 

機械が神ととらえる発想は間違いだ。

ものいい制度がいいのだ。

プロがそれだけ集まり、落ち着いて出した判定はそれで納得いく。

 

これが機械で確認したものと違っていたら

それは、

機械が間違えた、

あるいは機械で見るとそう見えるだけということだ。

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