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日本の巨大文化 高校スポーツ

今日は、センバツ決勝。

 

昨日、私が優勝候補とした高松商業が残った。

おもしろい野球を見せてくれる平安は逆転サヨナラで

甲子園100勝はお預けとなった。

 

高松商業と平安が決勝でぶつかれば

古豪同士の決勝になり、

高校野球は、長きにわたり日本の文化として定着していることが

証明されるところだった。

 

先日、大阪桐蔭が登場した日や

準々決勝、準決勝と平日にもかかわらず満員だ。

 

日本の文化としての高校スポーツは野球だけでない。

 

 

国立から開催地を変えた高校サッカーに

2年連続、開幕に足を運ぶと

ものすごい熱気と人の数、歓声の大きさだった。

 

春高バレー準決勝を観戦した時は、

これまた特有の熱気の高さが会場中に充満し、

立ち見で溢れていた。

 

どの高校スポーツも

やる人間、応援する人間が一所懸命で期待を裏切らない熱気だ。

 

本当にどのスポーツも一所懸命でこれに賭けている。

 

日本人は昔からいろいろなものを真似して感性に合うよう昇華させ、

新しく生まれ変わらせてきた。

 

もともと日本にはスポーツという概念がない。

 

スポーツは、ルールに則って運動することによって

主に勝敗を決するものをいうだろう。

 

スポーツの概念とは違い、勝敗を決せることに重きを置かず

人生において大事とされる正義や礼、美と一体のものとして発展し、

後に興業にまでなったのが相撲、柔道、剣道だ。

 

スポーツとは一線を画すものでありながら

体を動かし、勝敗を決めるという行為が

スポーツと同じ形態をとってしまっているので誤認する。

 

スポーツが日本に入ってきて、

これを日本文化と融合させながら日本ならではのものに

少しずつ変化させた。

 

スポーツを教育に取り入れ、人間形成の一つの道として育て

ここまで文化にしている国は他にないのではないか。

 

さらに今では、スポンサーがつき、広告の一環となり

巨大市場のビジネスになるほどまでに至った。

 

 

この情熱をさらにその先の大学や社会人へと続けられるのは

ほんの一握りだけ。

 

情熱を傾けるほどに、この有限の高校スポーツが終わった瞬間

次の行き場を探すことが大変だ。

 

切り替えられる人はいい。

 

別の目標がはっきりしていて、高校スポーツで培った精神や体力を

そちらへ生かす人は良い。

 

だが、これだけの情熱を傾けたものをその瞬間とられると

本当に脱力感、虚無感がおそってくる。

これを続けられる仕組みを作ることこそ国力の向上に思う。

 

これだけの情熱を次の何かに続けられる仕組みこそ教育だろう。

日本にはこんな若者がこれだけいる。

この力は次のステップ、国力につなげたい。

 

日本にはこんな若者がいるんだと声を大にして言いたい。

誇りに思う。

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