昨日、今の日本の野球システムでは
選手としては、成長曲線が鈍る可能性があり、日本プロ野球には人材が枯渇し、
日本の最高レベルの野球の成長曲線が鈍る。と記した。
それは、清宮が、高卒でのプロ入りを回避し、
大学進学後、海外へ渡る道を模索している記事を引き合いに出してのことだった。
今日もこの日本の野球システムについて考えてみよう。
数年前、芦屋学園は甲子園を目指さず、
高野連に属さない10年一貫指導の野球クラブとして創設された。
そしてこの芦屋学園から育成ドラフトで指名選手が生まれた。
日本のプロ野球選手の100%と言ってもいいくらい、高校野球(高野連)を経験し、プロへ行く。
この既定路線しかない閉鎖性を考えれば、
芦屋学園のような取組みが出現するのは当然と言えば当然であり、遅すぎると言える。
マック鈴木は日本の高校野球のシステムがどうしても合わなかったので
その時点で渡米してプロを目指すという過酷な道を選択した。
高校野球部に所属した場合、大前提として目標とするのは甲子園出場となる。
個々によっては甲子園ではなくプロへの通過点だったり、
野球技術を磨く場として選択し、その先を目指す通過点だったり、
高校野球そのものを経験したいということだったり、
そもそも甲子園なんて夢という場合は野球がしたいだけだったり、
はたまた精神鍛錬や体力強化なんて目的もあるかもしれない。
イチローは、プロに行くために、愛工大名電を選択し、
甲子園出場もスカウトの目にとまるために目標としていたそうだ。
100年続いた高校野球は、その存在を強固なものにした。
その慣習、伝統のおかげで、いまだに高校野球の人気は、根強いものになったのだ。
逆に、古い慣習を引きずって、
疑問に思う多くのことも教育の一環という大義名分のもと、まかり通っている。
高校野球の注目があるからこそプロの人気が支えられ、
高校野球で活躍した選手を追いかけプロの野球に流れていき、
プロ野球や野球そのものの人気が根付いていくという大きな効果がある。
野球において
この高校野球部以外の選択がないことにより古くからの慣習が幅を利かせ、
それを押し付け技術の向上を阻害しているのではないかと思わされることがある。
高校野球らしさ絶対主義をずっと押し付ける高野連。
そしてそのシステムに自らもどっぷり浸かり、教育、成長してきた指導者。
これによりプロの世界やレベルの高い組織においては常識とされるようなことも、
高校野球では排除される。
さらに明日へ。