高校野球で球数制限という発想が生まれたのは、同時に密接にかかわる過密日程があるから。
夏のトーナメント戦は、地方大会から含めて勝ち上がるにしたがい、日程が詰まる。
球数制限を設けなければいけないのは、この詰まった日程のせいなのだ。
プロはピッチャーを何人も抱えている。
つまり1人のピッチャーに頼らなくていいから毎日投げなくてよくなり、
毎日、試合があるものの期間を空けられるので球数制限などと言わない。
高校野球の秋の大会は土、日、祝日に試合が行われる。
秋は学校がある時に開かれるので、基本、平日は避けるよう日程が組まれる。
そうなると大会期間は長くなり、当然ピッチャーは休養期間が得られ、毎試合投げることができる。
つまりは全てが過密日程のせいで球数制限という発想に至る。
最近は日本が勝ち上がるので大いに盛り上がることとなったラグビーワールドカップは
だいたい1週間くらい空いていた。
それでも、他国の試合でも盛り上がったし、日本チーム登場に間があっても熱は
冷めなかった。
つまり大会の質とメディアを中心とした取り扱い方で期間を置いても、
盛り上がりは維持できるのだ。
だから、甲子園大会も1日1試合にして、間隔を空けてやれば球数や疲労については一気に解決する。
しかし、そこは所詮、高校生の部活動。
大きな壁が立ちはだかる。
球数制限は高野連が導入と言えば、それで決まるが、
日程の方は高野連だけでなく、球場使用、学校の日程、主催者と応援者のコストと
クリアすべき課題が多くて無理とハナから諦められている。
大エースがもう投げられないというところにまで頼るケースがある一方、
将来ある大エースに連投による疲労や使い過ぎを控えるための登板回避ということを選択するケースもある。
この選択により、負けたとしても、それは仕方がないことだ。
大物は使い過ぎが話題になり、逆に使わないことも話題になる。
前者が吉田で後者が佐々木だ。
どちらも、非難が目立った。
大会の仕組みのせいでこういうことが起きることを言う人はおらず、
非難は監督の方に集まるもの。
ピッチャーの体を慮れば、どこかで休ませる試合を作らなければならない。
試合ごとの間隔を空けられれば、球数制限など持ち出さなくていいわけだ。
こちらの改善には知恵がいる。
しかし、得策だと思われる。
相当の努力と協力が必要となってはくる。
1試合の中でも、早く投げろ、早くバッターボックスに入れ、いつまでサインを見てんだ、
タイムの時間が長すぎる、と、試合進行を優先する考え方から転換しなければいけない。
球数制限を導入することで、複数ピッチャーを抱える強豪校が有利になり、
選手を集められない公立校や一大会に全てを賭けたいピッチャーがいるチームに
不公平という多くの見方がある。
ただ、これは公平か、不公平かは誰にもわからない。
なぜなら、優勝とは最も優秀なチームに与えられる称号であり、
その優秀さとは戦力が高いこと、つまり、優秀な選手が多いことも、そのひとつだからだ。
つづく。


