以前、私の中学、高校時代は野球にしてもサッカーにしても帝京が、東京では圧倒的な力を持っており
その帝京と我が校サッカー部、我が野球部ともに王者に挑んだという話をした。
我が校サッカー部は最後の夏、帝京に延長戦の末敗れ、
同級生のサッカー部員は2年数か月の高校サッカー生活にピリオドを打った。
そして我が野球部もサッカー部が帝京に挑むより早く、対戦する機会に恵まれた。
私は東京都立高校だったが、実力は都立の中ではトップクラス。
東京私立の強豪校にもそう負けたことないチームだった。
東京は最近、
都立校でも毎年夏の予選でベスト4には1校は残るほど、実力をつけている。
昨年の西東京大会では日野高校が決勝まで進み、
この春のセンバツでは小山台高校が21世紀枠とはいえ、都立高として初めて出場した。
我々の頃は、
都立高がベスト4に残るのは数年に1度、ベスト8でも1校出るか出ないか。
ベスト16ならなんとか毎年出るかな。といった勢力図だった。
東京は約40年前に東西に分かれ、2校が代表になることとなった。
私は西東京に属し、西の名門といえば全国レベルの日大三高、
それから堀越、国学院久我山、国士舘、東亜学園、日大鶴ヶ丘、創価、
桜美林、日大二高、あたりがトップとして毎年代表校が変わる群雄割拠だった。
対して東は横綱・帝京の1強となっていたのだ。
そしてこの帝京が、春のセンバツでエース・三沢を擁して全国制覇をして、
春の東京都大会第一シードとして凱旋帰京をしてきたのだ。
三沢は2年生の時も帝京のクリーンアップを打ち、
2年生としてはゴジラ松井と2人だけ日本代表に選出されている。
そしてのちに巨人の中継ぎ、近鉄でも活躍した。
ちなみに、
ゴジラ松井の伝説としていまだに話題になる5打席連続敬遠だが、帝京も星稜との試合で
連続敬遠をしたそうだ。
5打席連続敬遠で世間を騒がせていた頃、帝京サッカー部・松波と席が前後ろだったそうで
(同じクラスでアイウエオ順に席が決まっていたため松波→三沢の順で席が前後だったそう。)
後ろの三沢が、
「うちも松井は敬遠したけどね」
とつぶやいたと松波が言っていた。
あれだけ騒がれた連続敬遠だが、帝京はすでにその前にやっており、
この例からいくと、幾多の強豪校も松井を敬遠していたのだろう。
甲子園という大舞台では、目立ってしまったというだけのことか。