私の思い出甲子園。先週に続き2回目。
先週は私が高校野球を観だした頃のことだった。
池田高校が王者の時代、
エースで4番の畠山は後に南海に入団、投手から野手に転向し、活躍した。
そして2年生だった水野、江上を擁し、夏を制覇した。
夏、春連覇の偉業を達成した池田高校は、その力そのままに
夏、春、夏3連覇の大偉業に挑み戦いを続けるわけだ。
そこで現れたのがあのチームだ。
そう、
高校野球の象徴パーフェクトリバティー・PL学園。
今ではあまり聞かなくなったが、阪神が弱い時は、PLより弱いだとか言われたり、
何かのレベルを現すときは、1軍、2軍、PL学園と例えたり、
とにかく高校野球といえばPL学園というチームだった。
プロ野球選手の輩出数でもおそらくNO.1だと思われるほどキラ星のごとく名選手がPL出身だ。
そして画面から映るPLが印象に残るのは、
宗教校がゆえ、プレー中にしきりに胸にあるお守り?に手をやること。
応援のバリエーションが多く、有名な人文字を使うこと。
などで人々の脳裏に焼付く。
そのPL学園がセンセーショナルに登場した1983年の夏。
夏・春・夏の三季連続優勝という離れ業を狙う王者・池田に主役交代を告げるため
1年生エース・桑田と1年生4番・清原ののちのK・Kコンビが、
いつの時代もスターを作り出してきた甲子園という脚本が見事なドラマを用意していたのだ。
池田高校が主役に昇りつめたときも、スター荒木を擁して5季連続出場の早稲田実業を
完膚なきまでに叩き潰したように、主役交代は新たな別の来歴のあるスターにより、
その座をとってかわり、ドラマとなっていくことになる。