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思い出甲子園Ⅵ

私の思い出甲子園6回目。

 

ついに最上級生になったKKは、春の選抜に当然のことながら出場する。

 

この大会が唯一決勝まで進めなかった大会となる。

それはあのピッチャーがいたから。

 

そう、
伊野商業・渡辺。

 

のちに清原とは西武でチームメートとなる渡辺はさほど強豪として知れているわけではない伊野商業を

甲子園に導き、準決勝で王者・PLと対戦し見事なピッチングを披露し、

全国にその名をとどろかせることになる。

 

渡辺は、気迫を前面に出すとか、雄叫びを上げるとかをしない飄々と投げるイメージだ。

メガネをかけ表情も穏やか。

 

ダルビッシュや伊良部や田中のようなパワーピッチャーには見えないが、

快速球を投げ込むパワーピッチャーなのだ。

 

とにかく真っ直ぐが速く、スライダーとの組み合わせで三振をとれる本格派のピッチャーだ。

 

当時小学生だった私は、メガネをかけたこのピッチャーをなんで打てないんだと思っていたが、

あらためてそのピッチングをみると、全身を使った姿は躍動しており、素晴らしいピッチャーだと感じる。

 

高校生にしてこれだけのフォームと球をもっていれば、将来が楽しみだったろう。

これを見れば、桑田よりも上と判断してもいいと思う。

 

PLとの試合では、大会注目の打者・清原を3三振に仕留めている。

 

清原は

「同級生にこんなすごいピッチャー初めて見た。」

 

9回に

のちにオリックスに入団する松山にホームランを打たれるが見事に完投勝利。

つづく決勝も制し、初優勝を果たす。

 

優勝しても抱き合って喜ぶということもなく、握手してにっこりするのみ。

このへんもクールでよかった。

 

その後、渡辺は社会人に進み、ドラフト1位で西武へ入団し、清原とチームメートとなる。

 

けがを抱えていたにもかかわらずドラフト1位で指名された。

そして、それまでのエース・東尾の21番を用意される。

それだけ、渡辺の素質をプロが欲しがったということだ。

 

その後も怪我がちで二軍で投げているとき、

当時の監督・森は、

「こんなところで投げているようなピッチャーじゃないんだ」

と渡辺の復活を切望していた。

 

プロでは怪我のおかげで目立つことはなかったのだが、その速球は、与田や野茂よりも速いとされ、

二けた勝利も数度やっており、タイトルも獲得している。

 

しかしながら、選手生命は短命で終わってしまった。

 

けがはどの選手も持っており、

けがのおかげで素晴らしい才能が日の目をみることない選手も多くいるはずなので、

たらればは禁句とはいえ、この渡辺とヤクルト・伊藤は2大けがに泣いた天才として

私の胸に刻まれている。

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