私の思い出甲子園7回目。
春のセンバツで伊野商・渡辺に決勝進出を阻まれ、初のベスト4に甘んじたPL学園。
KKもついに最後の甲子園として集大成の大会となった85年夏。
初戦は東海大山形相手に29得点を記録する。
大会初の毎回得点で大きくリードしたPLは、最後に、清原をマウンドへ送る余裕までみせた。
この試合9番バッターである笹岡が6安打していることからも層の厚さをうかがわせる。
この時のPL学園はのちに桑田、清原、松山、内匠、今来留主の5人がプロ入りしている。
勝ち上がっていくPL学園はしかしプロ注目の打者・清原にホームランが出ない。
清原が覚醒したのが準々決勝。
ここでやっと清原にホームランが飛び出す。
相手はのちに大洋ドラフト1位の高知商・中山。
高知商は伊野商を破っての夏出場だ。
この時、プロから注目されていた中山は自慢の速球で清原に勝負を挑む。
中山は目で合図して
「速球を投げ込むから」
と清原に宣言する。
清原も速球一本でフルスイング、打球はレフトスタンド上段へ一直線で飛び込むものだった。
PL・中村監督はあきれるように笑顔。
スタンドも高校生がこんな打球を打つかというようにどよめく。
当時の高校生のレベル、バットの性能からして
打球の速さと飛距離は、高校野球史上最長、最高のホームランと言えるほどのものだ。
中山の速球をたたいた清原のバットは、金属でありながらへこんだそうだ。
そして準決勝でも2本のホームランを放った清原に対して
4試合連続ホームラン中の宇部商・藤井とのホームラン競争も注目され始めた。
決勝で直接対決となった清原と藤井。
この時まで藤井4本、清原3本と藤井がホームランではリードしていた。
この試合終盤にリードを許す苦しい展開となったPLだったが、清原のこの日2本目のホームランで追いつく。
この時のホームランを
「生涯一のホームラン」
と語っているのを聞いたことがある。
そして
あの有名な実況
「甲子園は清原のためにあるのか」
が生まれたのだ。
この回顧シーンを見るたびに、
胸を躍らせ甲子園中継を見、プールで泳ぎまくり、祭りを楽しんだ小学生の頃の過ごした暑い夏を思いだし
感慨にふけるのだ。
サヨナラでこのゲームを制したPLは、優勝を果たし、KKは有終の美を飾り、
桑田甲子園20勝、清原甲子園13ホームランという不滅の大記録と
今なお甲子園を日本の文化として人々をひきつけるという大きな功績を残すことになった。
そして、運命のドラフトは二人を引き裂くことになり
甲子園からドラフトそしてプロと波乱に満ちたKKの人生は、
日本野球に燦然と語り継がれるドラマとなっていく。