毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

思い出甲子園Ⅳ

私の思い出甲子園。

しばらく間が空いて4回目。

 

高校野球史上、最高のドラマを演じ、今なおこの余韻は高校野球人気を支えることになり、

夏がくーれば思い出す、PL学園とKKコンビが前回だった。

 

私もこのPL学園とKKコンビの登場に衝撃を受け、このせいで、

今も野球を続けているといっても過言ではない。

 

1年生コンビKKを擁し、85年の夏の大会を勝ち進み、

準決勝では、夏春夏の3連覇を目指す池田高校に完勝。

その勢いは衰えず、決勝では清原に甲子園初ホームランが飛び出し、優勝を手にする。

 

これによりPL学園の人気は沸騰し、以降KKが在学する間は、打倒PLが合言葉となる。

 

前回は桑田の身体能力に言及した。

 

戦後で、かつ金属バット導入後、甲子園通算20勝という絶対に今後も破られない記録を残している。

 

たとえ桑田のように1年生からエースとして投げ続けて毎回甲子園に出てきても20勝するのは無理だろう。

半分の10勝すらむずかしい。

 

20勝だからね。

立ち止まって考えてみると、

1大会6試合として、無傷で優勝したら6勝。

これを3回繰り返しても18勝。さらに2試合に勝たなければならない。

 

1大会で5勝したとして4大会連続で勝ち続けなければならない。

 

甲子園で注目された投手で

私が実際に見た水野、松坂、寺原、ダルビッシュ、斉藤、田中、松井、辻内、菊池、

大谷、藤浪といるが、1年生の時からチームを勝利に導いてきた投手は居ない。

 

江川や尾崎も在学中ずっと注目されていたわけではない。

桑田だけ唯一、3年間フル回転して高校球界のエースとして君臨した。

 

20勝するには5季連続して出場して、なおかつ毎試合投げ、そして、勝ち続ける必要があるのだ。

 

投手としての力量はもちろん、チームメートにも恵まれなければならない。

そういう意味では奇跡のチームと言える。

 

一方の清原。

名門PLで1年生から4番として甲子園通算13ホームラン。

高校野球史上最高の打者だ。

 

ただ清原はもろい面も見せ、水野、渡辺の好投手からは連続三振を喫し、完全にやられている。

 

怪物ならここらへんからも打っておかなければいけなかった。

 

清原はプロに入ってからも右打ちを頻繁に見せていた。

この右打ちを習得したのはPL学園1年生の時、打撃練習でかっとばすと上級生からにらまれる。

そのため、

飛ばない右へ打つことをしていたら右にもホームランが出るようになった。という話だ。

 

実際、

清原の甲子園1号は、夏の決勝、Y校戦(関東の人間には横浜商業はY校として昔から親しまれている。)で

ライトラッキーゾーンへ放っている。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP