私の思い出甲子園8回目。
高校野球史上最高のスターKKが有終の美を飾り、高校野球は次のスターを求めることになる。
しかし、高校野球は全選手が同じ時間の中で活動するという制約の中、
無償で青春を燃やすという条件があるため、ドラマとスターが毎年、我々の眼前に現れる。
それは1選手に限らず、チームとしてのスターでもいいわけだ。
皆、地元のチームを応援し、そこには下手でも、下手だからこそ、
郷土のスターになりうるという特異のエンターテイメントがある。
KKが去った86年はのちに近鉄に入団する松山商業・水口が、
大会最多安打19を記録したことが印象深い。
本当に、振ればヒットという感じで打ちまくった。
また、沖縄水産がエース上原を擁して勝ち上がり、
このころから沖縄の野球が全国でも上位に位置するようになったように思う。
87年はKKのあとを引き継ぐかのようにまたしてもPL学園が台頭する。
立浪をキャプテンにエース野村。
当時としては珍しい投手分業を打ちだせるほどの選手層の厚さで橋本を抑え役に回していた。
4番には片岡。二年生に宮本。
のちのプロ野球選手を5人も抱えていたのだから強いわけだ。
KKの時も5人がのちにプロ野球へ進むが、どちらが強かったかという問いに
たしか片岡が、
「トーナメント方式の一発勝負だったら分が悪いかもしれない。
3連戦だったら勝ち越す」
と言っている。
豊富な投手力があった87年組が3回やれば勝ち越せるということなのだ。
85年優勝組が桑田、清原、松山、内匠、今来留主。
87年優勝組が野村、橋本、立浪、片岡、宮本。
87年組の方がプロでも1軍でバリバリ働いた選手が多くいる。
87年のドラフトで指名されたのが野村、橋本、立浪。
高校の同一チームで3人も同時に指名されているのだ。
ちなみに野村はドラフト3位で、橋本が1位。
高校時代のエースナンバーは野村で橋本は10。
10番がドラフト1位で、エースがもっと下の指名というケースは、東邦高校の二枚看板朝倉と岡本もそうだった。
朝倉は10番ながら中日のはずれ1位指名。
岡本はエースナンバーでありながら3位指名。
もともと朝倉がずっとエースだったが、最後の夏のみ岡本が1番を背負っていたという経緯がある。