12回目になった私の思い出甲子園。
前回は元木の話をした。
清原以来のスラッガーと思われた元木は、プロでの評価は高くなく
1年浪人し、巨人のドラフト指名を待つことになった。
プロ入り後の元木はスラッガーからバイプレーヤへと変貌し、曲者と呼ばれる選手になった。
同年代の前田、小久保、新庄、仁志の方がプロでは実績がある。
高校時代、元木がNO.1と言っていた帝京・吉岡もプロ入り後は野手へ転向し、
元木より活躍したように思う。
上宮の同僚・種田もプロでは元木より長くプレーしている。
元木の次の年のスラッガーは、内之倉だった。
私が1年生の時の甲子園のスターだ。
甲子園での打棒はひときわ輝いていた。
その後、ダイエーに入団したもののさっぱりで、高校時代はそんなにたくましい印象はなかったのに
とても太った記憶がある。
そして私が2年生の時のスラッガーが萩原。
萩原は阪神入団後、誠と登録名を変えた。
萩原もプロではあまり活躍できなかった。
この萩原がいたチームが大阪桐蔭。
今や、高校球界NO.1の強豪となった大阪桐蔭は、この年、甲子園初出場初優勝の快挙を達成する。
以降、昨年の前橋育英が22年ぶりに初出場初優勝を決めている。
イチローはこの年、3年生だったが、夏は出場できなく、
全国では無名と言っていい存在だったのだ。
この時の東京代表が帝京と国学院久我山。
私と同い年である、のちの巨人・三沢といまだに現役の井口が、2年生として出場している。
三沢とはこのあと帝京が春の選抜で優勝し、凱旋帰京して春の東京都大会初戦で私は対戦した。
三沢は温存され、マウンドに上がることはなかったが、レフト場外へホームランされた思い出がある。
井口はシニアリーグで中学校の時に対戦した。
そして、この甲子園出場が決まる数カ月前に練習試合で久我山のグラウンドに赴き対戦した。
このときまで井口の名は知らなかったが、この甲子園出場を機に井口は名前を売り、
大学卒業時にはNO.1野手の評価を得て契約金1億円にてダイエーに入団している。
そして次の年はあの怪物が世の中を震撼させることになる。